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汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム

汽車旅ひろば


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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!

JR初・廃線跡に電車が走りはじめた…可部線 [No.H234]

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上:可部駅にあった延伸開業祝賀の張り出し、下:あき亀山駅近くの民家に掲げられていた祝賀横断幕
去る3月4日に、広島県の可部(かべ)線が路線延伸をしました。
これまでの終点だった可部駅から先へ、あき亀山駅までわずか1. 6キロですが、ここが大いに注目されています。それというのも、この区間にはもともと可部線が走っていたためです。
可部線は、山陽本線の広島駅から二駅目となる横川駅から分岐している路線ですが、以前は可部駅を経て三段峡駅まで60. 2キロもの路線長を誇っていました。とはいえ、利用者が多いのは広島に近いところだけだったため、横川駅~可部駅間14. 0キロは電化されているものの、可部駅から先の46. 2キロは非電化区間でした。
その非電化区間が、2003年12月1日に廃止となったのです。
当時から、可部駅の次となる河戸(こうど)駅までは利用者がいるため、電化区間を延伸して存続をという声がありました。しかし、新たに電化することはなく廃止されたのでした。
廃止後も、地元ではJR西日本の協力をえて、線路敷きをそのままとしてふたたび列車が走るように運動を続けました。今回終点となったあき亀山駅の駅近くには、広島市立安佐市民病院の移転計画があり、2022年度に開業予定となっています。その利用者の足としても可部線延伸が望まれました。
結果、広島市が路線整備をして、JR西日本が列車を運行するという上下分離方式での運行再開となったのです。
JRがいったん廃止した路線を、部分的とはいえ運行再開したのは、これがはじめてのケースです。それも、地元の熱意が実ってのことですから、右上の写真の通り、祝賀の掲示は駅だけでなく、沿線の民家でも立派なものが見られました。


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レールが途切れていたところ(左)を、いまや電車が往復するようになった(右)。一方で、踏切は廃止されている。
可部駅を発車した列車は、延伸区間ですぐに左カーブします。
2013年6月9日に訪れた際には、左写真の左側のように、レールが2箇所途切れていました。そこに、いまは電車が走っているのです。
かつてレールが途切れていたところのうち、手前は踏切跡で、奥は線路の車止めがあるため、その先の緩衝帯としてレール上にバラスト(砕石)が被せてあったのでした。
今回、車止めがなくなったのはもちろんのこと、踏切も廃止されていました。というのも、かつて列車が走っていたとはいえ一旦廃止となったため、この可部駅から先の区間は新線扱いなのです。新線に対して、国土交通省は基本的に踏切の設置を認めていません。そのために、ここの踏切も廃止されたのです。
ところが、写真の右上に写っている踏切をはじめ、延伸区間1. 6キロには計4つの踏切があります。国土交通省の方針とは異なることですので、この踏切設置問題を解決するために、開業予定が当初より遅れてしまいました。
踏切を作らないためには、高架化するのが一番です。ところが、この1. 6キロの区間には幹線道路2本が立体交差していたのです。線路を高架化する場合、その立体交差のさらに上を走らせるか、立体交差部分を平地に戻してから高架線を造るかする必要があります。
いずれも費用対効果といった点で非現実的だということになったのでしょう。結果として、いったん廃止となった線路敷きをそのまま使用することにしたうえで、沿線住民の生活に必要な最小限の踏切だけを設置することで関係者が最終合意したのです。


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かつての河戸駅ホームは更地となり、ホーム端にあった踏切には歩行者用の陸橋が設けられ下。
かつて、可部駅の次に河戸(こうど)駅がありました。
可部の町中に位置しているため、利用が多いとして廃止反対の運動が起きた駅です。
今回、その河戸駅の近くに河戸帆待川(こうどほまちがわ)駅ができています。旧駅よりやや可部駅よりに位置していて、可部駅とあき亀山駅のちょうど中間地点にあたります。
一方、旧・河戸駅のホームは、更地となっていました。このホームには待合室があったのですが、あき亀山駅から300メートルほど先にある「長井ふふたびの宮」に移設されました。
「ふたたび」は、可部線に再び列車が走ることが決まったことから名づけたものだそうです。もともと伊勢社という神社で、地域名の長井をつけて長井伊勢社と呼ばれていました。
地元の長井自治会のホームページに「ふたたびプロジェクト」の項があり、和気藹々と、そして積極的に新駅誘致を進めてきた様子が感じられます。


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鉄橋は、プレートガーダーを活かしつつ、橋台から枕木まですべてがきれいになっている。
あき亀山駅到着直前に、小さな橋を渡ります。太田川の支流を渡る灰川橋梁です。
以前の様子は、左写真の下にあるとおり、ガーダーに少々錆が浮きはじめ、対岸は雑草に覆われている状況でした。
それが、いまではガーダーが再塗装され、両岸の橋台は新たなコンクリートで補強されています。レールはもちろんのこと、枕木も新品に交換されていることが判りますし、橋梁上には電化線が張られました。
ちなみにこの鉄橋には、この写真と反対側に銘板があります。その銘板には昭和10(1935)年の汽車会社製と記されているとともに、鉄道省の文字も見られます。この区間は昭和11年の開業なので、新線のために造られたガーダーが80年以上を経て、いまも現役ということになります。

筆者が可部線を訪れたのは4月10日(月)でした。
延伸開業から一ヶ月以上を経た平日、しかも午前10-12時というラッシュ時間帯から外れたタイミングでした。この区間は日中、片道20分に1本の運転本数がありますが、新設の2駅とも、各列車に対して誰かしら乗降していました。
あき亀山駅は、私と同じく遅まきながら新線区間に乗りに来た方が多いようでした。
一方、河戸帆待川駅は、明らかに地元の方々でした。それも、必ず複数名が乗降するような感じです。地元がふたたび走るようにと願うだけあって、本当に潜在需要があったことを実感した次第です。
延伸区間の新設2駅は広島市内駅となりました。片道200キロ以上の乗車券で広島駅に着けば、途中下車しない限りあき亀山駅まで乗車できるということです。まさに都市近郊にできた新駅です。今後の益々の発展が期待されます。


掲載日:2017年04月21日


●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。