青龍寺は西安の東南、市内から約3㌔にある真言宗の大本山です。もともと隋代の西暦582年に建てられ『霊感寺』と呼ばれていましたが、西暦711年に『青龍寺』と改称されました。9世紀初めから半ば頃まで、唐に仏教を求めて日本から多くの学問僧が派遣されましたが、有名な「入唐八大家」のうち、空海・円行・円仁・恵遠・円珍などは、ここで仏法を学びました。
空海は号を弘法大師といい、西暦804年、日本第十六回遣唐使として中国に渡り、青龍寺で恵果大師に師事し、二年たたずに学業を終え帰国しました。その後、高野山に金剛寺を建て、真言宗を創立しました。帰国の際、経典216部と王義之の書も多く持ち帰り、また中国灌漑技術と筆の製法も日本に伝え、中日両国経済と文化の交流を促進しました。
北宋の時代、青龍寺境内の建物が全て破壊されてしまいましたが、新中国成立後、1963年から青龍寺遺跡の試掘調査が始まり、1973年に塔と殿堂の遺跡が発見されました。空海記念碑は1982年建てられ、境内の殿堂も相次いで復元されました。 現在、四国や九州地区の八十八ヶ所の0番札所となっています。