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しんしこうていりょう
秦始皇帝陵

秦の始皇帝(紀元前259年-紀元前210年)は、13歳の時に王位を継承し、22歳の時に自ら国の政務を執りました。当時東にあった6つの国を統一し、中国初めての封建王国を築きました。50歳の時に亡くなり、この陵に埋葬されました。
この陵は彼の即位した直後に造り始め、70万人の囚人を集めて38年間かけて造られました。まだ発掘されていませんが、司馬遷の書いた「史記」によると、中は地下水も出るほど深く掘られ、銅で固めてからお棺を下ろしたということです。また、数多くの金銀財宝を守るため、自動的に発射できる弓矢が仕掛けられていたり、自然再現のため、天井に宝石で太陽や月、星などを鏤め、水銀を河や海として中に流しているとも言われています。
始皇帝の陵墓は、死後20年も経たないうちに、楚王項羽の軍によって発かれたと言われています。項羽は更に、三世皇帝で始皇帝の孫・子嬰を殺しており、咸陽の宮殿をも焼き払い、「火は三月滅えず」と記されています。