
漢の4代皇帝、景帝とその皇后の陵墓です。
景帝劉啓(前188-前141)は文帝の子で、母は竇皇后。前157年、32歳の時に皇帝となりました。16年間在位し、前141年に未央宮で亡くなると、陽陵に埋葬されました。文帝、景帝時代の約40年間は政治が安定し、社会も持続的に発展していたので、後に「文景の制」と称えられました。景帝は在位中に「与民休息」政策を実行し、農業を奨励し、産業を発展させました。御史大夫の晁錯の建議によって「削潘」を実行し、「呉楚七国の乱」を平定すると中央集権体制を強化して政権を確固のものとしました。景帝の陽陵は咸陽市の東部の渭城区正陽郷張家湾の北、咸陽にある9つの前漢帝陵の中で最も東、西安から22kmの場所にあります。陽陵は景帝と皇后の夫婦を合葬した陵園で、帝陵は西、皇后陵は東にあり、その間隔は400m。陵墓は4角錐台形の"覆斗形"を呈しており、現在、4つの坑から陶俑300体、木車と鉄器、農機具、貨幣が数百発掘されています。陶俑の体形は細長くて、均整がとれており、形や表情は一様でなく、年齢や性格の違いがはっきり現れており、写実的で優れた芸術品と言えます。
文物修復室特別手配:通常開放されていない文物修復室の見学、間近で漢代埴輪の見学、また修復作業の風景をご覧いただけます。質問応答可能です。