なぜ銀箔ではないのか?
銀閣寺といえば!の象徴「観音殿」は、金閣寺にある金ピカ「金閣(舎利殿※)」に比べて一見地味。金閣寺は華やか、銀閣寺は渋く「わび・さび」の趣。銀閣と呼ばれているのに、なぜ銀色ではないの?という疑問に、応仁の乱などでの財政難で銀箔が貼れなかったとか、実は昔は銀箔が貼られていた、という説がありました。
しかし科学調査の結果、銀が検出されなかった為初めから銀箔は貼られていなかったと2007年に発表されました。ではやはり財政難で?
現在有力な説は
(1)金閣寺に対しての呼び方
(2)池の反射光が外壁に映って銀色に輝いてみえたから
(1)「銀閣寺」と言われ始めたのは江戸時代。義政の祖父が建てた北山文化の代表的建造物「金閣(舎利殿)」に対して「観音殿」は東山文化の代表的建造物、しかも2つとも足利家の別荘・隠居所であったことから、2つを比較して"金閣"の名に対して"銀閣"と言われはじめました。
名前からしても最初から銀箔を貼る予定はなかったことが分かります。そもそも「金閣寺」、「銀閣寺」とは正式名称ではないですしね。
(2)錦鏡池(きんきょうち)と言われる庭の池が月の光を反射して、黒漆塗りの外壁を銀色に輝かしたからというもの。また、江戸時代に銀沙灘と向月台が作られ、これもまた月光によって白く光り輝いたから銀閣寺と言われるようになったとか。
財政難の説については、確かに当時は応仁の乱後で世間は貧しかったのですが、義政は重税を科してでも完成させようとしていたのだから、お金に困っていたわけではないんです。
※舎利殿(しゃりでん)・・・お釈迦様の骨を祀った建物のこと
■アクセス(JR京都駅から)
市バス100系統「銀閣寺道」下車 |