【関ヶ原町】関ヶ原の戦い開戦地
関ヶ原の戦いをたどるのなら、まず訪ねておきたいのが開戦の地です。
南天満山に陣地を構えた西軍の宇喜多秀家に対し、先峰で東軍の福島正則が攻撃を仕掛けるはずが、それを快く思わなかった井伊直政の抜け駆けによって突如開戦したと言われています。
この地は関ヶ原駅の北側の田園風景の中にあり建物はあまり見かけず、見渡せば当時の戦国ロマンを感じさせられます。
武将達の勇壮な姿を思い浮かべるのに格好の場所です。
南天満山に陣地を構えた西軍の宇喜多秀家に対し、先峰で東軍の福島正則が攻撃を仕掛けるはずが、それを快く思わなかった井伊直政の抜け駆けによって突如開戦したと言われています。
この地は関ヶ原駅の北側の田園風景の中にあり建物はあまり見かけず、見渡せば当時の戦国ロマンを感じさせられます。
武将達の勇壮な姿を思い浮かべるのに格好の場所です。
【所在地】関ケ原町大字関ケ原2368-1
【関ヶ原町】悲劇の知将・石田三成陣地跡
関ケ原の古戦場の北西に位置する笹尾山にあるのが、西軍の石田三成の陣地跡です。
西軍の主導者のひとりですが、江戸幕府の開祖の徳川家康に敵対したために長らく肯定的な評価をされなかった悲劇の武将でもあります。
石田隊6千余名はこの地に竹矢来の策を二重に講じて死闘を繰り広げましたが、小早川秀秋の裏切りで敗退していきました。
陣地跡を訪ねると、竹矢来や馬防柵が再現され主のいない「大一大万大吉」と三成の旗印があるのぼり旗が物悲しくはためいています。
西軍の主導者のひとりですが、江戸幕府の開祖の徳川家康に敵対したために長らく肯定的な評価をされなかった悲劇の武将でもあります。
石田隊6千余名はこの地に竹矢来の策を二重に講じて死闘を繰り広げましたが、小早川秀秋の裏切りで敗退していきました。
陣地跡を訪ねると、竹矢来や馬防柵が再現され主のいない「大一大万大吉」と三成の旗印があるのぼり旗が物悲しくはためいています。
【所在地】関ケ原町大字関ケ原4008
【栃木県佐野市】新町薬師堂~真田親子の犬伏の別れの地
所変わり、場所は栃木県佐野市へと移ります。2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の主役でもある真田信繁(幸村)はこの地で父昌幸や兄信幸と協議し、激論の末に兄は東軍へ、父と弟は西軍へと別れることとなりました。
昌幸の正室が三成の正室と姉妹であり、信繁の正室も西軍の大谷吉嗣の娘であったことから西軍へ、信幸の正室は徳川家康の養女で本多忠勝の娘あったことから東軍へと別れたという理由の他に、どちらが勝っても真田家が生き残る策であったとも考えられています。
諸説あるこの協議と別れの場のひとつがここ新町薬師堂です。その後は敵対する者同士となる兄と、父・弟。どのような思いでこの地を後にしたのでしょうか。
昌幸の正室が三成の正室と姉妹であり、信繁の正室も西軍の大谷吉嗣の娘であったことから西軍へ、信幸の正室は徳川家康の養女で本多忠勝の娘あったことから東軍へと別れたという理由の他に、どちらが勝っても真田家が生き残る策であったとも考えられています。
諸説あるこの協議と別れの場のひとつがここ新町薬師堂です。その後は敵対する者同士となる兄と、父・弟。どのような思いでこの地を後にしたのでしょうか。
【所在地】栃木県佐野市犬伏新町2060番地2他
【岐阜県大垣市】西軍の拠点となった大垣城
大垣城の当時の城主・伊藤盛宗が西軍であったことから、石田三成が大垣城に入り、西軍の拠点となりました。
その後石田三成が本陣と関ヶ原に移動、福原長堯が留守を預かりますが、西軍敗北と共に大垣城も東軍に囲まれ攻め落とされます。
当時の建物は破壊や空襲による焼失でなくなっていますが、観光復元され2011年の改修工事で当時の姿に近く再現されています。
東軍の攻撃の際、大垣城に籠城していた雑兵の娘である“おあむ様”が落城当時の様子を語り伝えた「おあむ物語」。敵の首を恩賞のため、綺麗に見栄え良く化粧しお歯黒を施すことが女子の役目だったこと、目の前で弟が敵の鉄砲の玉で殺されたこと等が記され、落城当時の様子がよくわかります。
その後石田三成が本陣と関ヶ原に移動、福原長堯が留守を預かりますが、西軍敗北と共に大垣城も東軍に囲まれ攻め落とされます。
当時の建物は破壊や空襲による焼失でなくなっていますが、観光復元され2011年の改修工事で当時の姿に近く再現されています。
東軍の攻撃の際、大垣城に籠城していた雑兵の娘である“おあむ様”が落城当時の様子を語り伝えた「おあむ物語」。敵の首を恩賞のため、綺麗に見栄え良く化粧しお歯黒を施すことが女子の役目だったこと、目の前で弟が敵の鉄砲の玉で殺されたこと等が記され、落城当時の様子がよくわかります。
【所在地】大垣市郭町2丁目52番地
【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】年末年始(12月29日から1月3日)
【アクセス情報】JR大垣駅南口から徒歩7分
【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】年末年始(12月29日から1月3日)
【アクセス情報】JR大垣駅南口から徒歩7分
【関ヶ原町】史跡めぐり前の事前学習に最適~関ヶ原町歴史民俗資料館
JR東海道本線関ケ原駅から徒歩8分の所にある関ヶ原町歴史民族資料館では、1階に関ヶ原の戦いの展示があり、関ヶ原を散策する前にぜひ寄ってみたい所です。
関ケ原合戦図屏風を元に当時の戦いの陣営や戦の流れを知ることができ、また、甲冑や火縄銃などの武具、陣跡からの出土品を保存・公開しています。徳川家康や石田三成の兜のレプリカも展示、巨大ジオラマもあり、歴女にも初心者にもおすすめの場所です。
グッズコーナーでは合戦図屏風のミニチュアや、武将Tシャツ、ミニのぼり旗も購入でき、贔屓の武将のグッズをお土産に買うことができます。
関ケ原合戦図屏風を元に当時の戦いの陣営や戦の流れを知ることができ、また、甲冑や火縄銃などの武具、陣跡からの出土品を保存・公開しています。徳川家康や石田三成の兜のレプリカも展示、巨大ジオラマもあり、歴女にも初心者にもおすすめの場所です。
グッズコーナーでは合戦図屏風のミニチュアや、武将Tシャツ、ミニのぼり旗も購入でき、贔屓の武将のグッズをお土産に買うことができます。
【所在地】岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原894-28
【開館時間】4月~10月 9:00~17:00(入館受付時間は16:30まで)/
11月~3月 9:00~16:30(入館受付時間は15:50まで)
【休館日】毎週月曜日、12月29日から1月3日
【アクセス情報】JR東海道本線関ケ原駅より徒歩8分、名神関ケ原インターより車で5分
【開館時間】4月~10月 9:00~17:00(入館受付時間は16:30まで)/
11月~3月 9:00~16:30(入館受付時間は15:50まで)
【休館日】毎週月曜日、12月29日から1月3日
【アクセス情報】JR東海道本線関ケ原駅より徒歩8分、名神関ケ原インターより車で5分
【関ヶ原町】形勢逆転の大勝負へ~徳川家康最後陣地
JR関ケ原駅のすぐ近く、陣場野公園に徳川家康最後陣地があります。関ヶ原の合戦は今の時間で午前8時に始まり、半日で勝敗が決まったと言われています。
最初、西軍が優勢で苛立った家康が午前11時頃本陣をこの地へ移動させ、ここから寝返った小早川秀秋に伝令を出し、発砲させて見事に勝利を収めたのでした。
その後はこの場所で打ち取った敵の武将の首実検が行われ、東軍の武将がこの地に集結したと言われています。
最初、西軍が優勢で苛立った家康が午前11時頃本陣をこの地へ移動させ、ここから寝返った小早川秀秋に伝令を出し、発砲させて見事に勝利を収めたのでした。
その後はこの場所で打ち取った敵の武将の首実検が行われ、東軍の武将がこの地に集結したと言われています。
【所在地】関ケ原町大字関ケ原959-2
【関ヶ原町】憧れの武将が目の前に!関ヶ原戦国合戦祭り
関ヶ原合戦祭りは毎年10月に2日間かけて行われる関ヶ原の戦いを再現したイベントで、100人以上の人達で当時の戦いを再現します。
笹尾山の会場から陣場野の会場まで30分かけて行われる武者行列、東西に別れての布陣パフォーマンス、そして毎年主役となる隊が変わり何度見ても飽きないオリジナル台本による関ヶ原合戦絵巻、白煙を上げる迫力ある鉄砲隊など見どころ満載で、国内の戦国ファンは元より海外からも大勢の観光客が訪れています。
笹尾山の会場から陣場野の会場まで30分かけて行われる武者行列、東西に別れての布陣パフォーマンス、そして毎年主役となる隊が変わり何度見ても飽きないオリジナル台本による関ヶ原合戦絵巻、白煙を上げる迫力ある鉄砲隊など見どころ満載で、国内の戦国ファンは元より海外からも大勢の観光客が訪れています。
【関ヶ原町】勇猛果敢な武将・福島正則陣跡
JR関ヶ原駅より徒歩15分の春日神社の境内に福島正則陣跡があります。
福島正則は豊臣秀吉の叔母が母であり、幼い時は秀吉の小姓も務めた豊臣家に縁の深い武将でした。その正則が関ヶ原の戦いでは東軍に加わったのは、ただただ石田三成に反する気持ちからだったのではと言われています。
武闘派の正則に対し、知性派の三成では水と油だったのかもしれません。東軍に加わった正則は、この春日神社周辺に陣地を設けて、開戦後に宇喜多秀家を襲撃しました。
春日神社の境内には樹齢800年の大きな杉の木があり、関ヶ原合戦図屏風にもその姿は描かれています。東軍へ加わった正則の本当の気持ちを、この大木なら知っているかもしれませんね。
福島正則は豊臣秀吉の叔母が母であり、幼い時は秀吉の小姓も務めた豊臣家に縁の深い武将でした。その正則が関ヶ原の戦いでは東軍に加わったのは、ただただ石田三成に反する気持ちからだったのではと言われています。
武闘派の正則に対し、知性派の三成では水と油だったのかもしれません。東軍に加わった正則は、この春日神社周辺に陣地を設けて、開戦後に宇喜多秀家を襲撃しました。
春日神社の境内には樹齢800年の大きな杉の木があり、関ヶ原合戦図屏風にもその姿は描かれています。東軍へ加わった正則の本当の気持ちを、この大木なら知っているかもしれませんね。
【所在地】関ケ原町大字松尾111
【関ヶ原町】義に厚い名将・大谷吉継陣地跡
西軍の大谷吉継は石田三成の盟友で、秀吉の死後家康に急接近していました。三成から家康打倒の志を打ち明けられると、無謀であると諫めました。
しかし翻意しない三成のために、業病を患い晩年は白い頭巾で顔を隠していた吉継は、さらに死を覚悟の死に装束を身に付けて西軍に加わり、義に厚い名将として知られています。
戦術に長けた武将だった吉継は小早川秀秋の裏切りを予測して、秀秋の陣地のある松尾山のちょうど真正面のこの地に陣地を敷いたと言われています。案の定秀秋の裏切りにすぐさま立ち向かったところで、秀秋包囲のために配していた西軍の別の隊にも裏切られ、周囲を敵に取り囲まれてその場で自決して果てました。
しかし翻意しない三成のために、業病を患い晩年は白い頭巾で顔を隠していた吉継は、さらに死を覚悟の死に装束を身に付けて西軍に加わり、義に厚い名将として知られています。
戦術に長けた武将だった吉継は小早川秀秋の裏切りを予測して、秀秋の陣地のある松尾山のちょうど真正面のこの地に陣地を敷いたと言われています。案の定秀秋の裏切りにすぐさま立ち向かったところで、秀秋包囲のために配していた西軍の別の隊にも裏切られ、周囲を敵に取り囲まれてその場で自決して果てました。
【所在地】関ケ原町大字山中30-1
【関ヶ原町】関ヶ原の戦い決戦地
関ケ原の戦いの当日、午前中西軍優勢で進んでいた戦いが、小早川秀秋が寝返ったことで形勢は一気に逆転し、東軍が優勢となって勝利します。
この決戦地は、石田三成の陣がある笹尾山のふもとにあり、東軍が三成の首を狙って最大の激戦地となった場所です。
三成は捕まることなく敗走しますが、徳川家康の命で追っていた追討隊に捕まり、京都の六条河原で斬首されます。
この決戦地は、石田三成の陣がある笹尾山のふもとにあり、東軍が三成の首を狙って最大の激戦地となった場所です。
三成は捕まることなく敗走しますが、徳川家康の命で追っていた追討隊に捕まり、京都の六条河原で斬首されます。
【所在地】関ケ原町大字関ケ原1202
まとめ
岐阜県の関ヶ原町を中心に、関ヶ原の戦いにまつわる史跡や観光スポットをご紹介しました。
天下を二分し、大勢の武将たちが参戦した関ヶ原の戦いには、様々なドラマが生まれています。
ぜひ、史跡をたどり、武将達へ思いを馳せる旅を楽しんでください。
天下を二分し、大勢の武将たちが参戦した関ヶ原の戦いには、様々なドラマが生まれています。
ぜひ、史跡をたどり、武将達へ思いを馳せる旅を楽しんでください。
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