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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
鉄道文化財をめぐる (1)珍しい直角二線式転車台 [No.H002]
転車台を知っていますか? レール上を真っ直ぐに走ることしかできない鉄道車両を、グルグルと回して方向転換する装置です。"ターンテーブル"ともいいます。
機関車や除雪車を載せて前後方向を変えたり、ラウンドハウスと呼ばれる扇形の車庫に機関車を出入りさせるために設置します。しかし、近年は機関車が減り、前後に運転台のある電車やディーゼルカーが増えたため、その数はめっきり減りました。
そんな転車台でも、この写真にある直角二線式はあまり見かけません。これは、愛知県の知多半島を走るJR武豊線の起源となった場所にある転車台で、国の登録有形文化財となっています。
JR武豊線は、名古屋駅から東海道本線の上り新快速電車で15分のところにある大府から、知多半島の東岸を武豊まで結んでいる19.3kmの路線です。単線非電化の路線ですが、名古屋通勤圏にあることから、いま電化工事が進められているところです。
そんな武豊線ですが、実は名古屋圏で最も早く線路が敷かれた地です。というのも、明治時代に鉄道を敷こうとしたとき、重い資材の運搬にもっとも適していたのは船でした。ですから、船で運んだ鉄道建設資材を港で陸揚げし、そこから鉄道建設予定地の内陸部まで運ぶための鉄道が必要だったのです。その港が武豊港で、名古屋圏の東海道本線を敷くための建設資材を運ぶためにできた鉄道が武豊線、というわけです。
いまの武豊駅は、当時の武豊港から1kmほど内陸に入ったところにあります。武豊駅で下車すると、その位置がいかにも中途半端に感じられるのは、その先に線路が続いていたためでしょう。実際、レールは剥がされているものの、廃線跡はしばらく細長い「ポケットパーク」として続いています。この「ポケットパーク」が途切れた先は上り坂になり、左にカーブするのですが、以前は同じ高さで切り通しになっていた地を線路が通っていたそうです。廃線後に、近隣住民の利便のために切り通しを埋めて坂道になったようです。
その坂道が下りとなり、やがて国道247号線との交差点に至ります。ここまで武豊駅から約1km、徒歩で10分強です。この交差点を渡ったところに「転車台ポケットパーク」があり、先に記した直角二線式の転車台があります。武豊停車場(後の武豊港駅)があった地だということで、その記念碑も建っています。
転車台そのものは、この地で貨車を方向転換するために使用していたものということで、機関車を載せるような大きなものではありません。その代わり、貨車を効率良く方向転換するために、直角に二線あるものとしたようです。昭和2年製で、武豊港駅に隣接してあったライジングサン石油(現・シェル石油)で油を積んだ貨車を武豊線に効率良く載せるためのものでした。つまり、貨車を載せて方向転換して武豊線に進めると、少し回転させるだけで次の貨車がもう一方の線路に載るため効率が良いということです。
昭和40年に武豊港〜武豊が廃線になると、転車台はそのまま放置されました。土に埋もれて荒れ果てていたものを、平成11年に地元の小学校5年生が、歴史を調べる授業の一環で発見。その児童達が当時の町長に保存を訴えて復元されたものだということです。
武豊線に乗ることがあれば、ぜひ訪れてみて下さい。
掲載日:2012年08月31日
機関車や除雪車を載せて前後方向を変えたり、ラウンドハウスと呼ばれる扇形の車庫に機関車を出入りさせるために設置します。しかし、近年は機関車が減り、前後に運転台のある電車やディーゼルカーが増えたため、その数はめっきり減りました。
そんな転車台でも、この写真にある直角二線式はあまり見かけません。これは、愛知県の知多半島を走るJR武豊線の起源となった場所にある転車台で、国の登録有形文化財となっています。
JR武豊線は、名古屋駅から東海道本線の上り新快速電車で15分のところにある大府から、知多半島の東岸を武豊まで結んでいる19.3kmの路線です。単線非電化の路線ですが、名古屋通勤圏にあることから、いま電化工事が進められているところです。
そんな武豊線ですが、実は名古屋圏で最も早く線路が敷かれた地です。というのも、明治時代に鉄道を敷こうとしたとき、重い資材の運搬にもっとも適していたのは船でした。ですから、船で運んだ鉄道建設資材を港で陸揚げし、そこから鉄道建設予定地の内陸部まで運ぶための鉄道が必要だったのです。その港が武豊港で、名古屋圏の東海道本線を敷くための建設資材を運ぶためにできた鉄道が武豊線、というわけです。
いまの武豊駅は、当時の武豊港から1kmほど内陸に入ったところにあります。武豊駅で下車すると、その位置がいかにも中途半端に感じられるのは、その先に線路が続いていたためでしょう。実際、レールは剥がされているものの、廃線跡はしばらく細長い「ポケットパーク」として続いています。この「ポケットパーク」が途切れた先は上り坂になり、左にカーブするのですが、以前は同じ高さで切り通しになっていた地を線路が通っていたそうです。廃線後に、近隣住民の利便のために切り通しを埋めて坂道になったようです。
その坂道が下りとなり、やがて国道247号線との交差点に至ります。ここまで武豊駅から約1km、徒歩で10分強です。この交差点を渡ったところに「転車台ポケットパーク」があり、先に記した直角二線式の転車台があります。武豊停車場(後の武豊港駅)があった地だということで、その記念碑も建っています。
転車台そのものは、この地で貨車を方向転換するために使用していたものということで、機関車を載せるような大きなものではありません。その代わり、貨車を効率良く方向転換するために、直角に二線あるものとしたようです。昭和2年製で、武豊港駅に隣接してあったライジングサン石油(現・シェル石油)で油を積んだ貨車を武豊線に効率良く載せるためのものでした。つまり、貨車を載せて方向転換して武豊線に進めると、少し回転させるだけで次の貨車がもう一方の線路に載るため効率が良いということです。
昭和40年に武豊港〜武豊が廃線になると、転車台はそのまま放置されました。土に埋もれて荒れ果てていたものを、平成11年に地元の小学校5年生が、歴史を調べる授業の一環で発見。その児童達が当時の町長に保存を訴えて復元されたものだということです。
武豊線に乗ることがあれば、ぜひ訪れてみて下さい。
掲載日:2012年08月31日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。