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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
日本初の民間専用線廃線跡は重要文化財 [No.H016]
JR東日本高崎線の深谷駅は、堂々たるレンガ造り風の駅舎が特徴です。でも、一見して新しい駅舎だということも判ります。
駅の開業は明治16年と古いのですが、いまの駅舎は平成8年に完成したものです。その外見は、東京駅にとても良く似ています。それもそのはず、東京駅を模したのです。
でも、単なる模倣ではありません。深谷市は明治時代の実業家として知られる渋沢栄一氏の生まれ故郷です。その渋沢栄一氏が明治政府の要請をうけて、深谷市内に日本煉瓦(れんが)製造というレンガ工場を設立しました。その工場で造ったレンガが、東京駅に多く使われているのです。
つまり、東京駅のあの外観の生みの親ともいえるのが、深谷市の日本煉瓦製造という会社というわけです。
この工場は明治21年に事務所ができたところからはじまったのですが、当時は近くを流れる川から利根川への舟運でレンガを出荷していました。しかし、舟運は川が増水するなどして輸送が不安定なため、日本鉄道の手により高崎線が開通すると、鉄道での出荷をすることになります。そのために、深谷駅から日本煉瓦製造までの4kmに日本初の民間専用線が建設されました。
このような経緯でできた工場と専用線ですが、日本煉瓦製造という会社は、国産レンガの需要低迷から平成18年になくなっています。専用線は、それ以前の昭和50年に廃止されています。しかし、これらのうち施設として残っているものは「日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設」として国の重要文化財に指定されています。
また、廃線跡は整備されて、歩行者ならびに自転車用の専用道となっています。それも、歩行者用と自転車用に分けてある部分が多く、安全かつ快適に歩くことができる道です。
廃線跡には、500mごとに現在位置を示す標識が設置されていますので、いま自分がどの辺りにいるのかを知ることができる点でも、安心して利用できます。
専用線の中間付近には、福川という川を越えていた橋梁が保存されています。また、公衆トイレもところどころに用意されていて、実によく整備されている廃線跡だと感心させられます。
レンガ工場跡地近くに至ると、備前渠という舟運時代にレンガを運び出していた川を渡ります。ここに架かる備前渠鉄橋は、重要文化財に指定されているものです。何の変哲も無いようにみえる橋ですが、これは遊歩道になった段階で安全を考えた改造をされているためです。
この備前渠鉄橋では、遊歩道から脇の堤防にでて橋の側面を見てみましょう。すると、橋桁とその橋桁を支えている両端の橋台は、専用線開設時からのものであることが判ります。橋台のレンガは、もちろん日本煉瓦製造で焼かれたものです。この橋のすぐ深谷駅側には用水が流れていて、そちらは小規模ながらもきれいな煉瓦アーチ橋となっています。これも、日本煉瓦製造で焼かれた煉瓦を使い、レンガだけで構成されたものと思われる立派なものです。
専用線跡が終わると、その右手はレンガ工場跡地です。その敷地を回り込んだところには、木造の旧事務所とレンガ造りの旧変電所が建っているのですが、同敷地内にあるホフマン窯とともに重要文化財です。
そのうち、旧事務所は煉瓦史料館となっていて、毎週金曜日の午前10時から午後3時まで無料公開されています。中には、日本煉瓦製造に関する資料が展示されているわけですが、その一角に専用線で使われていたレールや犬釘などが展示されていました。その犬釘をみてビックリ! まさに犬の頭の形をしているのです。
犬釘というのは、レールをまくら木に留めるために使う釘の一種です。レールの両側に犬釘を打ち付けることで、レールがまくら木に固定されます。その犬釘は今や色々な形に進化していますが、もともとは犬の頭の形をしていたために犬釘と呼ばれるということは知識として知っていましたし、後年に製造したイミテーションは見たことがあったのですが、本物を見たのは生まれて初めてです。感激しながら写真を写しました。
ちなみに、犬釘の英語名は Dog Spike です。これを直訳して犬釘という単語ができたのでしょう。
ちなみに、私が訪れたのは11月11日でした。この日は日曜日でしたが、旧事務所と前述のホフマン窯が特別公開されていました。なぜかと思ったら、渋沢栄一氏の命日だったのです。深谷駅前には渋沢栄一氏の像があるのですが、午前中にそこで式典をしているのを見かけたのですが、その意味が理解できました。
なお、片道4kmの遊歩道は、廃線跡だけに平坦で歩きやすいです。でも、自動販売機もお店もありません。また、煉瓦史料館すぐの浄化センターバス停には深谷駅からコミュニティバスが走っていますが、本数が限られていますので要注意です。
往復歩く自信のある方はともかく、そうでないなら、事前にコミュニティバスの時刻を調べて行かれることをお勧めします。
掲載日:2012年12月07日
駅の開業は明治16年と古いのですが、いまの駅舎は平成8年に完成したものです。その外見は、東京駅にとても良く似ています。それもそのはず、東京駅を模したのです。
でも、単なる模倣ではありません。深谷市は明治時代の実業家として知られる渋沢栄一氏の生まれ故郷です。その渋沢栄一氏が明治政府の要請をうけて、深谷市内に日本煉瓦(れんが)製造というレンガ工場を設立しました。その工場で造ったレンガが、東京駅に多く使われているのです。
つまり、東京駅のあの外観の生みの親ともいえるのが、深谷市の日本煉瓦製造という会社というわけです。
この工場は明治21年に事務所ができたところからはじまったのですが、当時は近くを流れる川から利根川への舟運でレンガを出荷していました。しかし、舟運は川が増水するなどして輸送が不安定なため、日本鉄道の手により高崎線が開通すると、鉄道での出荷をすることになります。そのために、深谷駅から日本煉瓦製造までの4kmに日本初の民間専用線が建設されました。
このような経緯でできた工場と専用線ですが、日本煉瓦製造という会社は、国産レンガの需要低迷から平成18年になくなっています。専用線は、それ以前の昭和50年に廃止されています。しかし、これらのうち施設として残っているものは「日本煉瓦製造株式会社 旧煉瓦製造施設」として国の重要文化財に指定されています。
また、廃線跡は整備されて、歩行者ならびに自転車用の専用道となっています。それも、歩行者用と自転車用に分けてある部分が多く、安全かつ快適に歩くことができる道です。
廃線跡には、500mごとに現在位置を示す標識が設置されていますので、いま自分がどの辺りにいるのかを知ることができる点でも、安心して利用できます。
専用線の中間付近には、福川という川を越えていた橋梁が保存されています。また、公衆トイレもところどころに用意されていて、実によく整備されている廃線跡だと感心させられます。
レンガ工場跡地近くに至ると、備前渠という舟運時代にレンガを運び出していた川を渡ります。ここに架かる備前渠鉄橋は、重要文化財に指定されているものです。何の変哲も無いようにみえる橋ですが、これは遊歩道になった段階で安全を考えた改造をされているためです。
この備前渠鉄橋では、遊歩道から脇の堤防にでて橋の側面を見てみましょう。すると、橋桁とその橋桁を支えている両端の橋台は、専用線開設時からのものであることが判ります。橋台のレンガは、もちろん日本煉瓦製造で焼かれたものです。この橋のすぐ深谷駅側には用水が流れていて、そちらは小規模ながらもきれいな煉瓦アーチ橋となっています。これも、日本煉瓦製造で焼かれた煉瓦を使い、レンガだけで構成されたものと思われる立派なものです。
専用線跡が終わると、その右手はレンガ工場跡地です。その敷地を回り込んだところには、木造の旧事務所とレンガ造りの旧変電所が建っているのですが、同敷地内にあるホフマン窯とともに重要文化財です。
そのうち、旧事務所は煉瓦史料館となっていて、毎週金曜日の午前10時から午後3時まで無料公開されています。中には、日本煉瓦製造に関する資料が展示されているわけですが、その一角に専用線で使われていたレールや犬釘などが展示されていました。その犬釘をみてビックリ! まさに犬の頭の形をしているのです。
犬釘というのは、レールをまくら木に留めるために使う釘の一種です。レールの両側に犬釘を打ち付けることで、レールがまくら木に固定されます。その犬釘は今や色々な形に進化していますが、もともとは犬の頭の形をしていたために犬釘と呼ばれるということは知識として知っていましたし、後年に製造したイミテーションは見たことがあったのですが、本物を見たのは生まれて初めてです。感激しながら写真を写しました。
ちなみに、犬釘の英語名は Dog Spike です。これを直訳して犬釘という単語ができたのでしょう。
ちなみに、私が訪れたのは11月11日でした。この日は日曜日でしたが、旧事務所と前述のホフマン窯が特別公開されていました。なぜかと思ったら、渋沢栄一氏の命日だったのです。深谷駅前には渋沢栄一氏の像があるのですが、午前中にそこで式典をしているのを見かけたのですが、その意味が理解できました。
なお、片道4kmの遊歩道は、廃線跡だけに平坦で歩きやすいです。でも、自動販売機もお店もありません。また、煉瓦史料館すぐの浄化センターバス停には深谷駅からコミュニティバスが走っていますが、本数が限られていますので要注意です。
往復歩く自信のある方はともかく、そうでないなら、事前にコミュニティバスの時刻を調べて行かれることをお勧めします。
掲載日:2012年12月07日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
渋沢栄一の生地ならではの、こだわりの駅舎だ