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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
鉄道文化財をめぐる(7) 日本初の鉄道防雪林120周年 [No.H060]
鉄道は積雪に弱く、それが列車運休に直結するだけに、防雪対策としての防雪林整備も早い時期から進められていました。
日本で最初の鉄道防雪林は、青森県の野辺地駅付近に造られました。いまは第三セクターの青い森鉄道の駅ですが、東北新幹線が新青森駅まで延伸された2010(平成22)年まではJR東日本の東北本線にある駅でした。その関係で、いまもJR東日本の大湊線は野辺地駅を起点としています。また、かつてレールバスで知られた南部縦貫鉄道も、この野辺地駅から七戸へと走っていました。
東北本線は日本鉄道という私鉄が建設し、後に国有化された歴史があります。ですから、この防雪林も日本鉄道が造ったものです。盛岡~青森が開通し、東北本線が全通したのは1891(明治24)年9月1日のことですが、その1年半後となる1893(明治26)年5月には植林されたそうです。それから、今年で120周年を迎えました。
野辺地は、ちょうど八甲田山から吹き下ろす季節風と陸奥湾を渡ってくる季節風がぶつかる位置にあるため、風がつよく、降雪量も多くなる一帯のようです。開業して二冬を越して、その積雪をなんとかしなければと考えたのでしょう。日本初の林学博士で、日比谷公園や明治神宮の森など数多くの公園の設計に携わった本多静六氏の進言に基づき、野辺地駅付近から小湊駅付近までの東北本線沿いに、計38カ所の防雪林を設けたということです。
なかでも代表的な野辺地駅付近の防雪林は、昭和末期に0.674ヘクタールでしたが、もともとは1.7ヘクタールあり、杉21,196本、唐松1005本を植林したそうです。
先に紹介した写真は、防雪林の一角に整備されたコーナーで、JR東日本によるものと思われます。一方、近くには、こんな素朴な碑もあります。「日本最初の鉄道防雪林 明治二十六年五月新設」とだけ書かれています。いつの建立か判りませんが、その様子から国鉄時代の後期ではないかと推測します。
この野辺地防雪原林は、1960(昭和35)年に鉄道記念物の第十四号に指定されています。鉄道記念物は1958(昭和33)年から指定が始まっていますので、早い段階での指定だったわけです。その記念碑は、当時の国鉄総裁で、新幹線建設を断行したことでも知られる十河信二氏による揮毫です。また、本多博士が「防雪原林」と揮毫された石碑も昭和十五年に建立され、現存しています。
野辺地防雪原林の場所は、野辺地駅の西側です。野辺地駅に行くと駅舎と反対側に林が見えますが、それが防雪林です。駅の改札を出てから、青森側の踏切まで大回りする必要がありますが、1km弱の距離ですから遠くありません。列車の乗換時間を利用して訪れることができる距離ですよね。
先の写真にある線路沿いは開けていますが、防雪林内には歩道が設けられていて、軽く散策することができます。森林浴をしながら、のんびりと行き交う列車を眺めるも良し、かつての南部縦貫鉄道野辺地駅跡を探すのも良しでしょう。
ちなみに、青い森鉄道の列車は1~2時間に1本程度ですが、貨物列車がそれ以上に走っていますし、大湊線の列車もあります。ですから、真っ昼間でも意外に列車の行き来が見られます。一方、南部縦貫鉄道の野辺地駅は、現存する野辺地駅の跨線橋がさらに防雪林まで伸びていて、その防雪林沿いの一角にありました。いまは整地されてしまっていますが、だいたいこの辺という見当はつきます。
ここまで来たなら、南部縦貫鉄道七戸駅跡に保存されているレールバスも見に行きたいところですね。今年度は、毎週土曜日と日曜日の10~16時に公開しています。バス便は多くありませんが、新幹線の七戸十和田駅を経由して七戸まで約40分で行けますよ。
掲載日:2013年10月18日
日本で最初の鉄道防雪林は、青森県の野辺地駅付近に造られました。いまは第三セクターの青い森鉄道の駅ですが、東北新幹線が新青森駅まで延伸された2010(平成22)年まではJR東日本の東北本線にある駅でした。その関係で、いまもJR東日本の大湊線は野辺地駅を起点としています。また、かつてレールバスで知られた南部縦貫鉄道も、この野辺地駅から七戸へと走っていました。
東北本線は日本鉄道という私鉄が建設し、後に国有化された歴史があります。ですから、この防雪林も日本鉄道が造ったものです。盛岡~青森が開通し、東北本線が全通したのは1891(明治24)年9月1日のことですが、その1年半後となる1893(明治26)年5月には植林されたそうです。それから、今年で120周年を迎えました。
野辺地は、ちょうど八甲田山から吹き下ろす季節風と陸奥湾を渡ってくる季節風がぶつかる位置にあるため、風がつよく、降雪量も多くなる一帯のようです。開業して二冬を越して、その積雪をなんとかしなければと考えたのでしょう。日本初の林学博士で、日比谷公園や明治神宮の森など数多くの公園の設計に携わった本多静六氏の進言に基づき、野辺地駅付近から小湊駅付近までの東北本線沿いに、計38カ所の防雪林を設けたということです。
なかでも代表的な野辺地駅付近の防雪林は、昭和末期に0.674ヘクタールでしたが、もともとは1.7ヘクタールあり、杉21,196本、唐松1005本を植林したそうです。
先に紹介した写真は、防雪林の一角に整備されたコーナーで、JR東日本によるものと思われます。一方、近くには、こんな素朴な碑もあります。「日本最初の鉄道防雪林 明治二十六年五月新設」とだけ書かれています。いつの建立か判りませんが、その様子から国鉄時代の後期ではないかと推測します。
この野辺地防雪原林は、1960(昭和35)年に鉄道記念物の第十四号に指定されています。鉄道記念物は1958(昭和33)年から指定が始まっていますので、早い段階での指定だったわけです。その記念碑は、当時の国鉄総裁で、新幹線建設を断行したことでも知られる十河信二氏による揮毫です。また、本多博士が「防雪原林」と揮毫された石碑も昭和十五年に建立され、現存しています。
野辺地防雪原林の場所は、野辺地駅の西側です。野辺地駅に行くと駅舎と反対側に林が見えますが、それが防雪林です。駅の改札を出てから、青森側の踏切まで大回りする必要がありますが、1km弱の距離ですから遠くありません。列車の乗換時間を利用して訪れることができる距離ですよね。
先の写真にある線路沿いは開けていますが、防雪林内には歩道が設けられていて、軽く散策することができます。森林浴をしながら、のんびりと行き交う列車を眺めるも良し、かつての南部縦貫鉄道野辺地駅跡を探すのも良しでしょう。
ちなみに、青い森鉄道の列車は1~2時間に1本程度ですが、貨物列車がそれ以上に走っていますし、大湊線の列車もあります。ですから、真っ昼間でも意外に列車の行き来が見られます。一方、南部縦貫鉄道の野辺地駅は、現存する野辺地駅の跨線橋がさらに防雪林まで伸びていて、その防雪林沿いの一角にありました。いまは整地されてしまっていますが、だいたいこの辺という見当はつきます。
ここまで来たなら、南部縦貫鉄道七戸駅跡に保存されているレールバスも見に行きたいところですね。今年度は、毎週土曜日と日曜日の10~16時に公開しています。バス便は多くありませんが、新幹線の七戸十和田駅を経由して七戸まで約40分で行けますよ。
掲載日:2013年10月18日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
鉄道記念物に指定されている。
東北本線を開通させた日本鉄道の手による植林。