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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
「あまちゃん」のロケ地、三陸鉄道をめぐる旅 3 [No.H098]
三陸鉄道には、北リアス線と南リアス線があります。
先週まで2回にわけて北リアス線を記しましたので、今週は南リアス線について記しましょう。
南リアス線は、JR釜石線の釜石駅から三陸海岸沿いを南下して、大船渡線の盛駅まで36.6kmの路線です。北リアス線久慈駅~宮古駅間71.0kmと比べて半分くらいの路線長ですが、釜石に近いあたりは平地が極端に少なく、全体に沿線人口も多くないため、所属車両は北リアス線の17両に対して、南リアス線はわずかに4両です。全線の半分以上がトンネルで、特に釜石~平田(へいた)~唐丹(とうに)~吉浜の北側15.0kmは、駅以外がほぼトンネルとなっています。国鉄時代に、吉浜駅以南が盛線として開業していながら、国鉄の赤字が問題となってその先の建設が止まったことが納得できる地形です。
旧国鉄線区間となり、ようやく地上区間が増えた頃に、恋し浜駅に到着しました。といっても、この駅もトンネルとトンネルに挟まれた駅なのですが…。国鉄時代は小石浜駅という駅名でしたが、2009(平成21)年7月20日に読みはそのままに「恋し浜」と駅名を変更しています。
JR北海道室蘭線の母恋駅、西武国分寺線の恋ヶ窪駅、智頭急行鉄道の恋山形駅とともに、いま日本に4つしかない「恋」の字が入っている駅名です。これらの駅はいずれも若者に人気があるようで、恋ヶ浜駅もご多分に漏れません。待合室にはホタテの殻に願い事を書いた絵馬が、これでもかと吊されているのです。その見学のため、定期列車ですが3分停車のサービスをしてくれます。
今回乗車した列車は、釜石駅でのJR快速「はまゆり1号」に接続しているため、2両編成でも満員で、筆者も座ることができず、全線立っての乗車となりました。所要1時間弱ですので、立っていても大したことはないですが。乗車したのが、JR東日本が50歳以上を対象にした「大人の休日倶楽部」の会員向けに年3回ほど発行するフリーパスの期間中だったため、そのパスの利用者と、三陸鉄道乗車が入っているバスツアー参加者で混み合っていたようです。三陸駅で下車したツアーがありましたので、釜石発車時点では、2つ以上のツアーが同乗していたようです。一方、どうみても地元の利用者は少数というところに、三陸鉄道の経営の大変さが感じられます。
乗車した列車の2両は、いずれもクウェート国から震災支援として贈られた援助金を使って新製されたものでした。前述のとおり南リアス線には4両が在籍していますが、そのうち3両がクウェート国からの援助金で2013年2月に新製されています。ちなみに、北リアス線は全線の運転再開にあわせて、2014年3月に5両がクェート国の援助金で新製されています。また、被災した5駅舎の再建等にも援助金が使われています。
1991年の湾岸戦争の際、日本は大金の拠出はしたものの人的派遣をせず、諸外国から非難される結果となりました。その戦争が終わってから、自衛隊はペルシャ湾での機雷除去作業を行っています。この行動で、ようやく日本の活動にも一定の理解が得られるようになったとされています。また、その時のお礼の意味も込めて、震災被害への支援金をクウェート国が拠出してくれたものと解釈されています。
その新製車には、それと判るように運転席下にクェート国の国章がつけられ、乗降扉の横にはアラビア語・英語・日本語で「クウェート国からのご支援に感謝します。」との表示もされています。上の写真は、その部分を示すとともに、拡大したものです。
終点の盛駅につき、ホームに降りたところで愕然としました。島式ホームの反対側に線路はなく、線路敷きを嵩上げしてアスファルト舗装されていたのです。
知識として、大船渡線はBRT(Bus Rapid Transit)と呼ばれるバス高速輸送システム路線になったことを知っていましたが、実際にその現実を目の当たりにすると、やはりショックを受けます。それも、国鉄時代に何度も利用したことがある駅で、記憶に残っているだけに…
そのBRT用の舗装を除くと、ホーム上屋も跨線橋も昔のままです。駅舎もそのまま。ここも東日本大震災の際には津波を被ったと聞いていますが、浸水したのはこの近くまででしたから、駅舎が流される等の被害にはならなかったようです。線路は無くなったものの、三陸鉄道から駅舎まではバリアフリーとなり、足腰の弱い方も無理なくBRT用道路を横断していました。この点では、道路交通の方が弱者に優しいなと感じました。
鉄道とバスという、それぞれの公共交通のシステムがもつ長所と短所が感じられる、盛駅の第一印象となったのでした。
掲載日:2014年07月25日
先週まで2回にわけて北リアス線を記しましたので、今週は南リアス線について記しましょう。
南リアス線は、JR釜石線の釜石駅から三陸海岸沿いを南下して、大船渡線の盛駅まで36.6kmの路線です。北リアス線久慈駅~宮古駅間71.0kmと比べて半分くらいの路線長ですが、釜石に近いあたりは平地が極端に少なく、全体に沿線人口も多くないため、所属車両は北リアス線の17両に対して、南リアス線はわずかに4両です。全線の半分以上がトンネルで、特に釜石~平田(へいた)~唐丹(とうに)~吉浜の北側15.0kmは、駅以外がほぼトンネルとなっています。国鉄時代に、吉浜駅以南が盛線として開業していながら、国鉄の赤字が問題となってその先の建設が止まったことが納得できる地形です。
旧国鉄線区間となり、ようやく地上区間が増えた頃に、恋し浜駅に到着しました。といっても、この駅もトンネルとトンネルに挟まれた駅なのですが…。国鉄時代は小石浜駅という駅名でしたが、2009(平成21)年7月20日に読みはそのままに「恋し浜」と駅名を変更しています。
JR北海道室蘭線の母恋駅、西武国分寺線の恋ヶ窪駅、智頭急行鉄道の恋山形駅とともに、いま日本に4つしかない「恋」の字が入っている駅名です。これらの駅はいずれも若者に人気があるようで、恋ヶ浜駅もご多分に漏れません。待合室にはホタテの殻に願い事を書いた絵馬が、これでもかと吊されているのです。その見学のため、定期列車ですが3分停車のサービスをしてくれます。
今回乗車した列車は、釜石駅でのJR快速「はまゆり1号」に接続しているため、2両編成でも満員で、筆者も座ることができず、全線立っての乗車となりました。所要1時間弱ですので、立っていても大したことはないですが。乗車したのが、JR東日本が50歳以上を対象にした「大人の休日倶楽部」の会員向けに年3回ほど発行するフリーパスの期間中だったため、そのパスの利用者と、三陸鉄道乗車が入っているバスツアー参加者で混み合っていたようです。三陸駅で下車したツアーがありましたので、釜石発車時点では、2つ以上のツアーが同乗していたようです。一方、どうみても地元の利用者は少数というところに、三陸鉄道の経営の大変さが感じられます。
乗車した列車の2両は、いずれもクウェート国から震災支援として贈られた援助金を使って新製されたものでした。前述のとおり南リアス線には4両が在籍していますが、そのうち3両がクウェート国からの援助金で2013年2月に新製されています。ちなみに、北リアス線は全線の運転再開にあわせて、2014年3月に5両がクェート国の援助金で新製されています。また、被災した5駅舎の再建等にも援助金が使われています。
1991年の湾岸戦争の際、日本は大金の拠出はしたものの人的派遣をせず、諸外国から非難される結果となりました。その戦争が終わってから、自衛隊はペルシャ湾での機雷除去作業を行っています。この行動で、ようやく日本の活動にも一定の理解が得られるようになったとされています。また、その時のお礼の意味も込めて、震災被害への支援金をクウェート国が拠出してくれたものと解釈されています。
その新製車には、それと判るように運転席下にクェート国の国章がつけられ、乗降扉の横にはアラビア語・英語・日本語で「クウェート国からのご支援に感謝します。」との表示もされています。上の写真は、その部分を示すとともに、拡大したものです。
終点の盛駅につき、ホームに降りたところで愕然としました。島式ホームの反対側に線路はなく、線路敷きを嵩上げしてアスファルト舗装されていたのです。
知識として、大船渡線はBRT(Bus Rapid Transit)と呼ばれるバス高速輸送システム路線になったことを知っていましたが、実際にその現実を目の当たりにすると、やはりショックを受けます。それも、国鉄時代に何度も利用したことがある駅で、記憶に残っているだけに…
そのBRT用の舗装を除くと、ホーム上屋も跨線橋も昔のままです。駅舎もそのまま。ここも東日本大震災の際には津波を被ったと聞いていますが、浸水したのはこの近くまででしたから、駅舎が流される等の被害にはならなかったようです。線路は無くなったものの、三陸鉄道から駅舎まではバリアフリーとなり、足腰の弱い方も無理なくBRT用道路を横断していました。この点では、道路交通の方が弱者に優しいなと感じました。
鉄道とバスという、それぞれの公共交通のシステムがもつ長所と短所が感じられる、盛駅の第一印象となったのでした。
掲載日:2014年07月25日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。