日本旅行 トップ > JR・新幹線+宿泊 > 鉄道の旅 > 汽車旅ひろば > ひろやすの汽車旅コラム 「山形交通高畠線の廃線跡をサイクリング、駅には温泉施設」

[ ここから本文です ]

汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム

汽車旅ひろば


  • ひろやすの汽車旅コラム
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!

山形交通高畠線の廃線跡をサイクリング、駅には温泉施設 [No.H112]

イメージ
クリックして拡大
旧高畠駅構内に保存されている。山形鉄道高畠線の車両たち。左後方に、同じく保存されている高畠駅舎も見える。
かつて、山形新幹線の高畠駅から東へ延びる私鉄がありました。1922(大正11)年に高畠鉄道として誕生し、その後、山形交通高畠線となり、1974(昭和49)年11月18日に廃止となった鉄道です。間もなく廃止から40年になります。
当時、高畠駅は糠ノ目駅と称していましたが、同駅は奥羽本線(山形新幹線)の駅であるだけで、駅付近に大きな町があったわけではありません。その点、5km強離れた高畠は町として栄えていましたので、同地を経て二井宿(にいじゅく)まで11km強の路線を敷き、電化もしていたのです。
その中心駅だった旧高畠駅舎は、高畠石を使った特徴ある建物で、構内外れにある3両の車両達とともに保存されています。保存車両は、1929(昭和4)年川崎車輌製のED1形、1962(昭和37)年西武所沢工場製有蓋車ワム201形、1929(昭和4)年日本車両製のモハ1形の3両です。1929年は高畠鉄道が電化した年ですから、この機関車と電車は開業時に新製投入された車両ということです。



イメージ
クリックして拡大
廃線跡のうち、山形鉄道高畠駅と旧高畠駅のあいだ5.9kmは、「まほろばの緑道」として整備されている。
山形鉄道高畠線の廃線跡は、最後まで残った糠ノ目(現・高畠)~旧・高畠間5.9kmが「まほろばの緑道」として整備され、歩行者・自転車専用道路となっています。途中の竹ノ森駅跡にはホームが残され、竹森公園となっています。
「まほろば」とは、住みやすいところといった意味の古語だそうです。山形が生んだ歌人・結城哀草果が高畠を含む置賜地区を「国のまほろば」と詠んだことから、高畠町が「まほろばの里 たかはた」をキャッチフレーズにしていることに由来します。実際、沿道は田畑が広がる平坦な地で、高畠駅で借りられるレンタサイクルで走ると、廃線跡だけに快適に走ることができます。ただし、降雪時にはお休みということです。
日本のアンデルセンとも呼ばれる童話作家・浜田広介は高畠町の出身のため、「まほろばの緑道」の途中には「浜田広介記念館」があります。また、山形県の名産品として知られるラ・フランスの一大産地も高畠町ですが、その農園に沿っているところもあります。



イメージ
クリックして拡大
高畠駅は、メルヘンチックな駅舎。改札横には広介童話で知られる「泣いた赤鬼」も立っている。
高畠駅は山形新幹線の多くが停まる駅ですが、駅舎は「高畠町太陽館」と名づけられた高畠町の総合コミュニティ施設です。右の写真の通りメルヘンチックな屋根ですが、童話作家・浜田広介のふるさとをイメージしたものだということです。改札口横には、広介童話のなかでも特によく知られている「泣いた赤鬼」にちなんだ、赤鬼の像が建っています。
写真左下には「温泉のある駅 ゆ」と書いてありますが、この駅舎内には温泉入浴施設があります。前述の通りレンタサイクルもここで借りられるので、走り終わって返却したら、そのまま温泉に直行ということもできるわけです。
サイクリングで一汗かき、温泉で汗を流したうえで、山形新幹線で帰宅する… そんなぜいたくな一日を過ごすことができますよ。




掲載日:2014年10月31日


●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。