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汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム

汽車旅ひろば


  • ひろやすの汽車旅コラム
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!

復興が続く仙石線・石巻線の現状 2/2 [No.H151]

前回は、仙石東北ラインについて記しました。
続く今回は、まず、石巻で乗り換えた石巻線の終点・女川駅について記します。

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線路を付け替え、新線で到着する石巻線の終点・女川駅。駅周辺は、復興工事の真っ盛りだ。
女川は、よく知られている通り、女川原子力発電所が立地していますが、その先には金華山があります。ニュース等で「金華山沖」という言葉に聞き覚えがある方も多いと思います。暖流と寒流がぶつかりあう漁場として、古くから知られている地です。このあたりが、三陸海岸の南端となります。
そのような土地だけに、東日本大震災での津波の被害は甚大で、海岸沿いは町も駅も被災しました。そこで、石巻線は一つ前の浦宿駅を過ぎたところから線路付け替えを行い、トンネルを抜けた高台に新たな女川駅を建設しました。新線建設という大工事のために運転再開に時間がかかり、今年3月21日になってようやく女川駅まで列車がやってくるようになったのです。
その駅の周辺は、土地の造成真っ最中です。これから新しい町ができていくのでしょう。新たな駅の2階には「女川温泉ゆぽっぽ」という女川町温泉温浴施設ができ、3階には展望フロアもできました。上の写真は、その展望フロアから写した女川駅とその周辺の様子です。
ご覧の通り1面1線の駅ですから、来た列車は基本的にすぐに折り返して発車していきます。女川駅まで行くなら、慌てて折り返すのではなく、駅併設の温泉にゆったり浸かって次の列車を待つのも一考でしょう。


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現・野蒜駅に停車中の電車の窓越しに、被災した旧・野蒜駅が見えた。中央左の白い建物が旧・野蒜駅。
再び、前回と同じ仙石線に話を戻します。
仙石線は、仙石東北ラインと合流する高城町駅から石巻方面に11.7kmの陸前小野駅までを長らく運休していました。震災直後に、津波に押し倒された電車が衝撃をもって伝えられましたが、その野蒜(のびる)駅を含む海岸に近いところを走る区間です。
今年5月31日に運行再開するにあたって、高城町駅~陸前小野駅間は10.5kmに短縮されています。野蒜駅付近の線路を大きく山側の高台に付け替えた結果です。
新線にできた野蒜駅の周辺にはまだ何もなく、古くからの町へと通じる駅前道路が一本できているだけです。広大な土地では造成の真っ最中で、いずれこの駅を核とした町がこの高台にできることが予想されます。
その野蒜駅のホームからは、被災した旧・野蒜駅や野蒜の町を見下ろすことができます。停まった電車の窓越しにみえる白い建物が、旧野蒜駅。その向こうには、津波に耐えた松があり、その先は海です。
土地の方も予想しなかった大津波で、多くの方が犠牲になったところです。その記録は、数百年~数千年先にまたあるであろう大津波のために、しっかりと残しておかなければならないことでしょう。


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野蒜駅から1.2kmの距離にある東名駅付近も、大規模な土地造成工事の真っ最中だ。
野蒜駅とともに高台に移転したのが、隣駅の東名(とうな)駅です。
野蒜駅~東名駅間1.2kmのあいだは、延々と土地の造成工事がされています。これだけ大規模な街づくりは、いまや大都市近郊で見られなくなったものでしょう。震災から間もなく4年半になりますが、現地の復興はまだこれからの段階だということを実感させられます。
無人駅の東名駅で電車を待っていると、ときおり、車に乗って一帯の様子を見に来る人がいます。しかし、電車でやってくる人はほとんどいないようです。
この先、町ができはじめると急速に雰囲気が変わっていくことでしょう。そのとき、駅が新たな土地に住む人たちの、賑わいの中心になることを願ってやみません。


掲載日:2015年08月14日


●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。