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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
加悦鉄道の記憶を止める施設をめぐる [No.H229]
京都の北部、京都丹後鉄道の与謝野駅から、かつて加悦(かや)鉄道という私鉄が内陸部に向けて走っていました。
当時の与謝野駅は丹後山田駅という駅名でしたが、第三セクター鉄道「北近畿タンゴ鉄道」となる際に町名の野田川駅となりました。さらに、2015年4月に北近畿タンゴ鉄道が上下分離をして、WILLER TRAINSが京都丹後鉄道として運行を始める際に、広域合併後の町名である与謝野駅に再度駅名変更したものです。
与謝野駅舎内には「丹後山田駅資料室」があり、当時の駅名標や発車時刻表・写真などが展示されています。京都丹後鉄道でアクセスしたなら、まずはこの資料室を見るとよいでしょう。
加悦鉄道の廃線跡5. 7kmは整備され、サイクリングロードとなっています。与謝野駅でもレンタサイクルが1回200円で借りられるので便利です。
サイクリングロードの終点には、与謝野町役場加悦庁舎があります。加悦駅の跡地を利用して造られた加悦町役場で、広域合併により加悦庁舎となっています。この庁舎には、円形の中庭のような場所があります。加悦鉄道時代にあった転車台跡で、そのままの形を残すことで、同所がかつて加悦鉄道の駅構内だったことを後世に伝えているのです。誰でも見学ができる場所ですので、一見の価値があります。
その庁舎の一角に建っていた加悦駅舎は、瀟洒な建物として知られていましたが、庁舎建設を目前に控えた2001年に、曳家によって180度転回し、さらに道路反対側のやや北に移動しました。
その建物を、いまは「加悦鉄道資料館」としています。開館は土休日の9時から17時までで、入場無料です。
中には、1926(大正15)年に開業し、1985(昭和60)年に廃止となるまでの約60年間にわたる加悦鉄道の足跡を残す資料が収蔵・展示されています。展示品の中にある開業時の旅客運賃表には、隣駅まで4銭なのに対して、東京市内まで13円15銭とあるほか、関西圏はもちろんのこと、東海道線の主要駅や北陸本線の福井・金沢・富山駅、山陰本線経由の下関駅や、廃線となった大社線の大社駅なども記されていて、興味深く見学ができます。
加悦鉄道は、加悦駅までの旅客鉄道でしたが、線路はさらに先にある大江山までつながっていました。戦前に大江山でニッケル鉱が見つかり、その積み出し用として敷かれた貨物線でした。鉱山駅までは加悦駅から2. 6kmの距離ですが、その廃線跡もサイクリングロードとして整備されています。
鉱山駅跡には、「加悦SL広場」があります。「道の駅シルクのまちかや」も併設されているので、車でアクセスするにも容易な場所です。
加悦鉄道廃止後も加悦駅構内で保存展示されていた車両達をこの地に移し、整備したうえで展示しています。いまでは、蒸気機関車6両、内燃車両9両、客車6両、その他6両の計27両もが所狭しと展示されています。なかには動態復活を果たした車両もあります。
その広場の中心には、かつて加悦駅構内にあった転車台があります。転車台はいまも展示車両の保守の際や、動態車両のイベント運転の際などに使われています。
運営は加悦鉄道の資産を引き継いだ宮津海陸運輸で、車両の修繕・保守などはNPO法人加悦鐵道保存会がお手伝いをされています。同会は、先に紹介した「丹後山田駅資料室」と「加悦鉄道資料館」についても、与謝野町から管理運営を委託されています。
保存車両は27両と多く、加悦鉄道とは直接関係のない車両も少なくありません。
その中でも特に注目されるのが、重要文化財に指定されている加悦鉄道2号蒸気機関車です。
日本の鉄道が新橋~横浜間で開通したのは1872(明治5)年ですが、その2年後となる1874年には大阪~神戸間が開通しています。その大阪~神戸間の開業に合わせて輸入されたのが、後に加悦鉄道2号機となる「123号蒸気機関車」です。1873年英国スティーヴンソン社製で、その車歴簿も現存することから、機関車本体とともに車歴簿も含めて2005年に重要文化財に指定されています。
2号機とはなっていますが、加悦鉄道としては開業時に購入した機関車で、本来であれば1号機となるはずです。ところが、1915(大正4)年に官営鉄道から簸上(ひかみ)鉄道に譲渡された際に、3両まとめての譲渡だったため、この機関車は2号機となりました。簸上鉄道は後に国鉄木次線となり、今はJR西日本木次線となっている路線を開設した鉄道会社です。同鉄道から譲渡されて加悦鉄道に来た際に、そのまま2号機として申請したため、その後も2号機となっているそうです。
いまは、修繕中のためご覧の通り塗装を剥がした部分がありますが、この先、再塗装をして美しい姿を取り戻す予定です。
この他、運転台の前に荷台をつけた「バケットカー」気動車や、加悦鉄道現役当時には珍しかった客車にエンジンを取り付けて気動車にした車両など、加悦鉄道現役時代に乗ったことがある方には懐かしく、そうでない方には珍しい車両が間近に見られます。
「加悦SL広場」では、5月6日(土),7日(日)の両日、「初夏の加悦鉄道まつり」を開催するとのことです。両日とも10~15時の開催で、動態保存車の運転などがあります。詳しくは、加悦SL広場の公式サイトや、前述したNPO法人加悦鐵道保存会の公式サイトをご覧ください。
なお、公共交通の場合は、天橋立ケーブル下から京都丹後鉄道与謝野駅を経て、加悦鉄道資料館もよりの加悦庁舎を経由して、「SL広場西」まで、丹後海陸交通の路線バスが走っています。与謝線・福知山線の与謝行・共栄高校前行で、共栄高校前行は福知山駅北口・同南口も経由します。ただし、いずれも便数が限られていますので、事前に調べてから出かけられることをお勧めします。
掲載日:2017年03月17日
当時の与謝野駅は丹後山田駅という駅名でしたが、第三セクター鉄道「北近畿タンゴ鉄道」となる際に町名の野田川駅となりました。さらに、2015年4月に北近畿タンゴ鉄道が上下分離をして、WILLER TRAINSが京都丹後鉄道として運行を始める際に、広域合併後の町名である与謝野駅に再度駅名変更したものです。
与謝野駅舎内には「丹後山田駅資料室」があり、当時の駅名標や発車時刻表・写真などが展示されています。京都丹後鉄道でアクセスしたなら、まずはこの資料室を見るとよいでしょう。
加悦鉄道の廃線跡5. 7kmは整備され、サイクリングロードとなっています。与謝野駅でもレンタサイクルが1回200円で借りられるので便利です。
サイクリングロードの終点には、与謝野町役場加悦庁舎があります。加悦駅の跡地を利用して造られた加悦町役場で、広域合併により加悦庁舎となっています。この庁舎には、円形の中庭のような場所があります。加悦鉄道時代にあった転車台跡で、そのままの形を残すことで、同所がかつて加悦鉄道の駅構内だったことを後世に伝えているのです。誰でも見学ができる場所ですので、一見の価値があります。
その庁舎の一角に建っていた加悦駅舎は、瀟洒な建物として知られていましたが、庁舎建設を目前に控えた2001年に、曳家によって180度転回し、さらに道路反対側のやや北に移動しました。
その建物を、いまは「加悦鉄道資料館」としています。開館は土休日の9時から17時までで、入場無料です。
中には、1926(大正15)年に開業し、1985(昭和60)年に廃止となるまでの約60年間にわたる加悦鉄道の足跡を残す資料が収蔵・展示されています。展示品の中にある開業時の旅客運賃表には、隣駅まで4銭なのに対して、東京市内まで13円15銭とあるほか、関西圏はもちろんのこと、東海道線の主要駅や北陸本線の福井・金沢・富山駅、山陰本線経由の下関駅や、廃線となった大社線の大社駅なども記されていて、興味深く見学ができます。
加悦鉄道は、加悦駅までの旅客鉄道でしたが、線路はさらに先にある大江山までつながっていました。戦前に大江山でニッケル鉱が見つかり、その積み出し用として敷かれた貨物線でした。鉱山駅までは加悦駅から2. 6kmの距離ですが、その廃線跡もサイクリングロードとして整備されています。
鉱山駅跡には、「加悦SL広場」があります。「道の駅シルクのまちかや」も併設されているので、車でアクセスするにも容易な場所です。
加悦鉄道廃止後も加悦駅構内で保存展示されていた車両達をこの地に移し、整備したうえで展示しています。いまでは、蒸気機関車6両、内燃車両9両、客車6両、その他6両の計27両もが所狭しと展示されています。なかには動態復活を果たした車両もあります。
その広場の中心には、かつて加悦駅構内にあった転車台があります。転車台はいまも展示車両の保守の際や、動態車両のイベント運転の際などに使われています。
運営は加悦鉄道の資産を引き継いだ宮津海陸運輸で、車両の修繕・保守などはNPO法人加悦鐵道保存会がお手伝いをされています。同会は、先に紹介した「丹後山田駅資料室」と「加悦鉄道資料館」についても、与謝野町から管理運営を委託されています。
保存車両は27両と多く、加悦鉄道とは直接関係のない車両も少なくありません。
その中でも特に注目されるのが、重要文化財に指定されている加悦鉄道2号蒸気機関車です。
日本の鉄道が新橋~横浜間で開通したのは1872(明治5)年ですが、その2年後となる1874年には大阪~神戸間が開通しています。その大阪~神戸間の開業に合わせて輸入されたのが、後に加悦鉄道2号機となる「123号蒸気機関車」です。1873年英国スティーヴンソン社製で、その車歴簿も現存することから、機関車本体とともに車歴簿も含めて2005年に重要文化財に指定されています。
2号機とはなっていますが、加悦鉄道としては開業時に購入した機関車で、本来であれば1号機となるはずです。ところが、1915(大正4)年に官営鉄道から簸上(ひかみ)鉄道に譲渡された際に、3両まとめての譲渡だったため、この機関車は2号機となりました。簸上鉄道は後に国鉄木次線となり、今はJR西日本木次線となっている路線を開設した鉄道会社です。同鉄道から譲渡されて加悦鉄道に来た際に、そのまま2号機として申請したため、その後も2号機となっているそうです。
いまは、修繕中のためご覧の通り塗装を剥がした部分がありますが、この先、再塗装をして美しい姿を取り戻す予定です。
この他、運転台の前に荷台をつけた「バケットカー」気動車や、加悦鉄道現役当時には珍しかった客車にエンジンを取り付けて気動車にした車両など、加悦鉄道現役時代に乗ったことがある方には懐かしく、そうでない方には珍しい車両が間近に見られます。
「加悦SL広場」では、5月6日(土),7日(日)の両日、「初夏の加悦鉄道まつり」を開催するとのことです。両日とも10~15時の開催で、動態保存車の運転などがあります。詳しくは、加悦SL広場の公式サイトや、前述したNPO法人加悦鐵道保存会の公式サイトをご覧ください。
なお、公共交通の場合は、天橋立ケーブル下から京都丹後鉄道与謝野駅を経て、加悦鉄道資料館もよりの加悦庁舎を経由して、「SL広場西」まで、丹後海陸交通の路線バスが走っています。与謝線・福知山線の与謝行・共栄高校前行で、共栄高校前行は福知山駅北口・同南口も経由します。ただし、いずれも便数が限られていますので、事前に調べてから出かけられることをお勧めします。
掲載日:2017年03月17日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。