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汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム

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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!

意外なほど面白い、仙山線の楽しみ方 2/2 [No.H233]

今回は、前回に続き仙山線について記します。
前回は、仙台駅を出て、北仙台駅、東北福祉大前駅、第二広瀬川橋梁と仙山線の東側の見どころをご紹介しました。今回は、残る西側の見どころです。


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「交流電化発祥地」碑がある作並駅下りホーム。作並系こけしの地元だけに、大きなこけしが出迎えている。
仙山線・仙台駅~羽前千歳駅間58. 0キロの中間付近、仙台駅から28. 7キロの地点にあるのが、右写真の作並駅です。
温泉好きの方であれば、作並温泉の最寄り駅と思われることでしょう。
こけしに興味を持つ方には、作並系こけしの産地として知られているようです。
そして鉄道好きには、日本の交流電化発祥の地として知られています。
右の写真は駅の出入口がある下りホームで写したものですが、右端に写っているのが「交流電化発祥地」碑とその説明板です。その左手には大きなこけしが出迎え、駅を出ると作並温泉の送迎バスが待っている…と、そんな駅です。

戦後、日本は電化線を増やすことを考えました。国産石炭の産出量は限られ、かつ広く使われていたため、大量に使用する鉄道には節約を求められたそうです。また、石油はほぼ全面的に輸入に頼っているため、水力発電による電化を目指したのでした。
ところが、技術的に容易な直流電化は列車本数の多いところには向いているものの、列車本数が多くない地方幹線には向いていません。それは、変電所の数が多く必要になるためです。
その点、交流電化を実用化できれば、高圧送電と交流の特性から変電所数を直流区間より少なくすることができることが理論的に判っていました。そこで、勾配線区でかつ都市部からも近いものの、トンネルが少なく、列車本数も多くないここ仙山線が試験線区に選ばれたのでした。
当時、小規模ながら機関区があった作並駅に、試験交流電気機関車の基地が設けられ、昭和30(1955)年から試験を開始しました。さらに昭和32年9月5日には作並駅~仙台駅間で、国内初の交流電化による営業列車の運転を始めています。

その後、北陸本線・東北本線をはじめ全国に交流電化が普及していきます。さらに、このときに培った交流技術があったお陰で、東海道新幹線も実現できることになります。
それほどの記念すべき駅ですが、その記念碑は意外なほどこぢんまりとしています。


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「山寺」の名で知られる立石寺を山の上に見て走る仙山線の電車。
作並駅の一つ西にある奥新川駅までは宮城県ですが、同駅から次の面白山高原駅の間で県境を越えて山形県となります。奥羽山脈に属する面白山を、仙山線はトンネルで抜けています。
前記の交流電化は仙台駅~作並駅間だけで、作並駅から面白山を抜ける区間は直流電化で開業しています。しかし、直流電化は面白山高原駅の次にある山寺駅までで、勾配が緩くなる山寺駅から西側は、蒸気機関車の牽引となっていました。このため、山寺駅にはいまも蒸気機関車の進行方向を変える転車台が残っています。

ところで、「山寺」といえば松尾芭蕉がおくのほそ道で「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の一句を詠んだところとして知られています。
山寺駅は、その山寺こと宝珠山立石寺(りっしゃくじ)の最寄り駅です。山寺駅に到着する直前に鉄橋を渡りますが、そのとき進行方向右上に山寺が見られます。
上の写真は、仙山線と山寺を一緒に見られるところで撮ったものですが、画面中央上部の岩肌に建っている建物が、山寺のお堂等です。いかに高いところにあるかが判りますよね。参拝するには、麓の山門から800段を超える石段を登ることになります。
なかなかの健脚向きですが、登ると眼下に町並みが見下ろせるとともに、この鉄橋も俯瞰して見ることができます。
筆者はこの写真を写す前に石段を登っていますが、そのとき、宅配便の配達人もほぼ同じ頃に登りはじめました。しかし、筆者が途中で息を切らしているときに、配達人は足早に下りてきました。さすがに、ここの担当者は鍛え方が違うようです。


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単線同士が平面交差する珍しい光景。よくみると、左右の線路は、レールの幅(ゲージ)が異なっている。
山寺駅から3駅進むと、山形新幹線との合流駅となる羽前千歳(うぜんちとせ)駅に着きます。
何の変哲もないホーム1面の両横に線路がある無人駅ですが、その東側が仙山線のホーム、西側が山形新幹線と同じ線路を走る奥羽本線のホームになっています。
その羽前千歳駅ホームから、山形駅側を写したのが右の写真です。
何だか変ですよね?
山形新幹線は左側の線路を走っていますが、すぐ手前で並行する線路と交叉しています。その平面交差部分には渡り線がありません。つまり、左右の線路はそれぞれ独立しているのです。
さらによくみると、左右の線路のレール幅(ゲージ)が違うことに気付きます。新幹線が走っている線路は、レール幅が1435mmの標準軌ですが、それと交叉している線路は仙山線で1067mmの狭軌なのです。
つまり、山形新幹線はこの先複線区間を走っているように見えますが、実は山形新幹線と仙山線の単線2本が並んでいるのです。こういう線路状況を単線並列と呼ぶことがあります。

では、どうしてここでわざわざ線路が交叉しているのでしょう。
山形新幹線は、もともと1067mm狭軌の奥羽本線でした。その当時は、東から合流する仙山線がそのままポイントで合流すれば良かったのです。ところが、奥羽本線を山形新幹線にするために標準軌へと改軌しました。
このときの選択肢は、
  ・単線並列
  ・三線軌条
のいずれかになります。
三線軌条とは、いま青函トンネルで行われているように、一方のレールを共用しつつ、反対側に狭軌用レールと標準軌用レールを2本並行に敷く方法です。秋田新幹線でもこの三線軌条区間があります。
ところが奥羽本線の場合は、この次の駅で西から左沢(あてらざわ)線が合流するため、交叉しないままの単線並列にすると、山形駅の手前で仙山線+山形新幹線+左沢線の3線が並んで走ることになります。これでは線路用地が広く必要になります。
そこで、羽前千歳駅の山形駅側で山形新幹線(奥羽本線)と仙山線を交叉して、次の北山形駅では山形新幹線に支障することなく仙山線と左沢線が合流するようにしたのです。
他では見られない珍しい平面交差が、仙山線の旅の最後を彩ってくれます。

掲載日:2017年04月14日


●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。