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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
「こんぴらさん」最寄りのJR琴平駅が改修復元 [No.H236]
「こんぴらさん」と呼ばれ親しまれている、四国・香川県にある金刀比羅宮ですが、そのJR最寄り駅は琴平駅です。
ご覧の通りの瀟洒な洋風木造駅舎で知られ、国の登録有形文化財になっています。今年4月から6月まで、前回紹介した四国デスティネーションキャンペーンが実施されていますが、その実施に先駆けて、この駅舎は耐震補強工事がされました。その際に、大正12年5月に竣工した当時の姿へと改修復元されました。そのお陰で、このようなお洒落な駅舎となりました。
駅前通りに石灯籠が並んでいるのも、如何にも参道風でいいですよね。
その石灯籠の左側には、C58形蒸気機関車の動輪一軸が設置されています。これは、「四国鉄道発祥之地」碑です。
約130年前となる明治22(1889)年5月に、讃岐鉄道によって瀬戸内海沿いの丸亀から多度津を経てここ琴平までの鉄路が開業しました。それが明治39年に国有化され、いまはJR四国の予讃線と土讃線の一部になっているのです。
なお、その半年ほど前となる明治21年10月に、伊予鉄道が松山市~三津間を開業させています。夏目漱石の小説坊っちゃんに出てくる、いわゆる「坊っちゃん列車」ですが、軽便鉄道としての開業だったので、普通鉄道としてはこの丸亀~琴平間が四国最初の鉄道ということになります。
琴平駅の改修は、外観だけではなく内装、さらには駅ホーム上屋にまで及んだ本格的なものです。その改修で目を惹くのが、駅舎内にあるセブン-イレブンの店舗。JR四国はセブン-イレブン・ジャパンと提携して、KIOSKをセブン-イレブンの店舗にしています。ところが、その目立つ通常の電飾は、改装後の駅舎内の雰囲気に合わないことから、モノトーン風の外観にしているのです。
この改装に合わせて、駅ホームでの列車接近放送メロディーには「こんぴら船々」が採用され、ゴールデンウィークから使われています。
さらに、駅舎の一角には前回紹介した観光特急「四国まんなか千年ものがたり」号の食事利用券を持っている乗客だけが利用できる「ラウンジ大樹」もできました。午前の大歩危行を利用する場合はウェルカムサービス、復路の多度津行から下車したらフェアウェルサービスを受けられるそうです。
ラウンジ内には、特製の「黄金の畳」が設置されていますが、地元の「ゴールドプロジェクト実行委員会」が寄贈したものだそうです。この委員会は、金比羅宮の「金」を使ったまちづくりを進めているそうです。
琴平駅の多度津方(上り方)すぐのところでは、珍しい光景が見られます。 JR土讃線が、高松琴平電鉄(通称・ことでん)の上を走っているのです。 上述の通り、土讃線は四国初の普通鉄道として讃岐鉄道が開設しました。通常であれば、その後にできた“ことでん”の線路がオーバークロスします。ところが、ここではあたかも“ことでん”が先にできたかのように土讃線がオーバークロスしているのです。
これは地形的な関係でたまたまそうなっただけで、特に政治力が働いたとかではないようです。
写真の特急「南風」は右から左へと走っていて、間もなく琴平駅に到着です。その下の“ことでん”は大きく左カーブしていますが、そのままカーブを続けて、琴平駅の200メートルほど金刀比羅宮寄りの琴電琴平駅に至ります。
ところで、“ことでん”の線路右側にも、同じような大きさの線路下空間がありますよね。ここ、実は廃線跡です。
琴電琴平駅よりさらに150メートルほど金比羅宮に近いところに琴平郵便局がありますが、そこまで琴平急行電鉄という私鉄があったのです。瀬戸大橋を渡って四国に入ったところにある坂出(さかいで)からまっすぐに琴平まできていた路線で、昭和5(1930)年に開通しています。しかし、戦時下に運行休止を余儀なくされ、そのまま廃線となった鉄道線です。
琴電琴平駅は昭和2年に初代駅舎ができていますので、ほぼ同時期にできた鉄道です。
さらに、琴平郵便局の道路向かいにある「ことひら温泉琴参閣」という温泉旅館は、琴平参宮電鉄という私鉄駅の跡に建っているそうです。琴平参宮電鉄は略して琴参ですので、その電鉄名がいまも旅館名に残っているわけですね。
この琴平参宮電鉄は多度津から土讃線にほぼ並行し、善通寺を経て琴平までと、坂出から丸亀を経て善通寺までの路線を有していました。琴平駅が開業したのは大正12(1923)年と先に記した2私鉄よりも早く、しかも非電化の土讃線と違い電化で開業しています。
この琴平という小さな町に、戦前に4つもの鉄道線が集まってきていたわけで、いかにこんぴら詣でが盛んだったかを感じさせますね。しかし、さすがにそれだけの参詣客がいたわけではないようで、戦後に琴平参宮電鉄はバス転換を進め、昭和38(1963)年に鉄道事業から撤退しました。
掲載日:2017年05月12日
ご覧の通りの瀟洒な洋風木造駅舎で知られ、国の登録有形文化財になっています。今年4月から6月まで、前回紹介した四国デスティネーションキャンペーンが実施されていますが、その実施に先駆けて、この駅舎は耐震補強工事がされました。その際に、大正12年5月に竣工した当時の姿へと改修復元されました。そのお陰で、このようなお洒落な駅舎となりました。
駅前通りに石灯籠が並んでいるのも、如何にも参道風でいいですよね。
その石灯籠の左側には、C58形蒸気機関車の動輪一軸が設置されています。これは、「四国鉄道発祥之地」碑です。
約130年前となる明治22(1889)年5月に、讃岐鉄道によって瀬戸内海沿いの丸亀から多度津を経てここ琴平までの鉄路が開業しました。それが明治39年に国有化され、いまはJR四国の予讃線と土讃線の一部になっているのです。
なお、その半年ほど前となる明治21年10月に、伊予鉄道が松山市~三津間を開業させています。夏目漱石の小説坊っちゃんに出てくる、いわゆる「坊っちゃん列車」ですが、軽便鉄道としての開業だったので、普通鉄道としてはこの丸亀~琴平間が四国最初の鉄道ということになります。
琴平駅の改修は、外観だけではなく内装、さらには駅ホーム上屋にまで及んだ本格的なものです。その改修で目を惹くのが、駅舎内にあるセブン-イレブンの店舗。JR四国はセブン-イレブン・ジャパンと提携して、KIOSKをセブン-イレブンの店舗にしています。ところが、その目立つ通常の電飾は、改装後の駅舎内の雰囲気に合わないことから、モノトーン風の外観にしているのです。
この改装に合わせて、駅ホームでの列車接近放送メロディーには「こんぴら船々」が採用され、ゴールデンウィークから使われています。
さらに、駅舎の一角には前回紹介した観光特急「四国まんなか千年ものがたり」号の食事利用券を持っている乗客だけが利用できる「ラウンジ大樹」もできました。午前の大歩危行を利用する場合はウェルカムサービス、復路の多度津行から下車したらフェアウェルサービスを受けられるそうです。
ラウンジ内には、特製の「黄金の畳」が設置されていますが、地元の「ゴールドプロジェクト実行委員会」が寄贈したものだそうです。この委員会は、金比羅宮の「金」を使ったまちづくりを進めているそうです。
琴平駅の多度津方(上り方)すぐのところでは、珍しい光景が見られます。 JR土讃線が、高松琴平電鉄(通称・ことでん)の上を走っているのです。 上述の通り、土讃線は四国初の普通鉄道として讃岐鉄道が開設しました。通常であれば、その後にできた“ことでん”の線路がオーバークロスします。ところが、ここではあたかも“ことでん”が先にできたかのように土讃線がオーバークロスしているのです。
これは地形的な関係でたまたまそうなっただけで、特に政治力が働いたとかではないようです。
写真の特急「南風」は右から左へと走っていて、間もなく琴平駅に到着です。その下の“ことでん”は大きく左カーブしていますが、そのままカーブを続けて、琴平駅の200メートルほど金刀比羅宮寄りの琴電琴平駅に至ります。
ところで、“ことでん”の線路右側にも、同じような大きさの線路下空間がありますよね。ここ、実は廃線跡です。
琴電琴平駅よりさらに150メートルほど金比羅宮に近いところに琴平郵便局がありますが、そこまで琴平急行電鉄という私鉄があったのです。瀬戸大橋を渡って四国に入ったところにある坂出(さかいで)からまっすぐに琴平まできていた路線で、昭和5(1930)年に開通しています。しかし、戦時下に運行休止を余儀なくされ、そのまま廃線となった鉄道線です。
琴電琴平駅は昭和2年に初代駅舎ができていますので、ほぼ同時期にできた鉄道です。
さらに、琴平郵便局の道路向かいにある「ことひら温泉琴参閣」という温泉旅館は、琴平参宮電鉄という私鉄駅の跡に建っているそうです。琴平参宮電鉄は略して琴参ですので、その電鉄名がいまも旅館名に残っているわけですね。
この琴平参宮電鉄は多度津から土讃線にほぼ並行し、善通寺を経て琴平までと、坂出から丸亀を経て善通寺までの路線を有していました。琴平駅が開業したのは大正12(1923)年と先に記した2私鉄よりも早く、しかも非電化の土讃線と違い電化で開業しています。
この琴平という小さな町に、戦前に4つもの鉄道線が集まってきていたわけで、いかにこんぴら詣でが盛んだったかを感じさせますね。しかし、さすがにそれだけの参詣客がいたわけではないようで、戦後に琴平参宮電鉄はバス転換を進め、昭和38(1963)年に鉄道事業から撤退しました。
掲載日:2017年05月12日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。