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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
廃線跡を走って60年、記念バスは蒸気機関車? [No.H257]
右の写真は、パッと見で何か変ですよね?
でも、よく見ると、車体に蒸気機関車の側面が描かれていることが判ります。
ここは、福島県を走るJR関東バスの白棚(はくほう)線です。
かつて、東北本線の白河駅と水郡線の磐城棚倉駅を結ぶ白棚線がありました。もとは白棚鉄道という私鉄が大正5(1916)年に開業させた路線で、昭和13(1938)年に国有化されています。
同線は戦時中に運行休止となり、一般道経由の代替バスとなります。戦後になり、廃線跡を専用道に改修して代替バスが走りはじめたのは昭和32(1957)年のことです。それから今年で60年となるため、それを記念したラッピングバスというわけです。
モデルとなった蒸気機関車は、白棚線の開業時に導入された日本車輌製造製の3号機、国有化後は1225形となったCタンク機です。
何か変に思うのは、主にバスのタイヤと蒸気機関車の車輪が別々になっているためではないでしょうか。バスのタイヤを動輪の一つに見立てれば、もっとそれっぽくなった気がします。また、短い機関車だったのをバスの車体長に合わせて延ばしたことで、バランスを崩しています。余談ながら、動輪3つに続いて従輪1つがバスの後方に描かれていますが、もとの機関車に従輪はありませんでした。ここに違和感を感じる人もいるかもしれません。
このように、やや難のある図柄ではありますが、JRバス関東がこのような試みをしたのは嬉しいことです。
バス路線として走りはじめた頃は、廃線跡を多く走っていたようですが、今でも専用道路区間がかなりあります。関辺~松上間5. 2kmの前後約5. 5kmと、表郷庁舎前~三森間の約2kmの、併せて約7. 5kmも専用道路を走るのです。白河駅前~磐城棚倉駅間は26. 0kmですので、その3割弱が廃線跡を活用した専用道路ということになります。
大正時代にできたローカル私鉄ですから、多くの踏切がありました。そのため、いまも専用道路と交差する一般道は多くあります。その交差点毎に、左上の写真にある案内板が建っています。
「JRバス関東専用道路」と案内されていて、「一般車通行禁止」と大書した左側には「歩行者・自転車も通行できません」と記されています。
日中は1時間に片道1本、往復で2本走るだけの路線なので、ついこの専用道路を歩いてみたくなりますが、ルールですからダメですよね。あきらめてやや遠回りになる一般道を歩いてみたところ、鉄道時代を思い起こす橋が見られたり、冒頭の写真にあるきれいなサイドビューが眺められるところもありました。橋の橋脚にはレンガ巻きのものもありましたので、これは鉄道時代の橋りょうをそのまま使用しているとみて良いでしょう。
白棚線を見ている中で、特に気に入ったのが右写真の番沢停留所です。
上下の待合小屋の間はやや広くなっていて、バスがすれ違いできる幅にしてあります。写真に写る待合小屋のうち、バスの向こう側の青い待合小屋近くの土手をみると、鉄道境界標がありました。土手の位置が変わっていないということは、現駅時代から向こう側は変わっていないことになります。となると、手前側が駅前広場だったのでしょう。
写真に写っている大木は、駅前広場にあったものと推測されます。ただし、代替バスが走りはじめた頃はまだ小さかったことでしょう。この田園地帯にポツンとある駅は、さぞ牧歌的な雰囲気だったことでしょうね。
ところで、この写真のバスは、一般塗装のJR関東バスです。現地で見た限りでは、3台で運行しているようですので、検査等で運転していない日を除けば3本に1本が60周年記念ラッピング車となります。
1時間に片道1本ですけど、全線の所要時間は約50分ですので、片道乗り通せば、乗っているバスか対向してくるバス、もしくは次にやってくるバスのどれかが記念ラッピングバスということになります。
なお、白河側は東北新幹線の新白河駅にも立ち寄りますので、アクセスが便利です。
掲載日:2017年10月13日
でも、よく見ると、車体に蒸気機関車の側面が描かれていることが判ります。
ここは、福島県を走るJR関東バスの白棚(はくほう)線です。
かつて、東北本線の白河駅と水郡線の磐城棚倉駅を結ぶ白棚線がありました。もとは白棚鉄道という私鉄が大正5(1916)年に開業させた路線で、昭和13(1938)年に国有化されています。
同線は戦時中に運行休止となり、一般道経由の代替バスとなります。戦後になり、廃線跡を専用道に改修して代替バスが走りはじめたのは昭和32(1957)年のことです。それから今年で60年となるため、それを記念したラッピングバスというわけです。
モデルとなった蒸気機関車は、白棚線の開業時に導入された日本車輌製造製の3号機、国有化後は1225形となったCタンク機です。
何か変に思うのは、主にバスのタイヤと蒸気機関車の車輪が別々になっているためではないでしょうか。バスのタイヤを動輪の一つに見立てれば、もっとそれっぽくなった気がします。また、短い機関車だったのをバスの車体長に合わせて延ばしたことで、バランスを崩しています。余談ながら、動輪3つに続いて従輪1つがバスの後方に描かれていますが、もとの機関車に従輪はありませんでした。ここに違和感を感じる人もいるかもしれません。
このように、やや難のある図柄ではありますが、JRバス関東がこのような試みをしたのは嬉しいことです。
バス路線として走りはじめた頃は、廃線跡を多く走っていたようですが、今でも専用道路区間がかなりあります。関辺~松上間5. 2kmの前後約5. 5kmと、表郷庁舎前~三森間の約2kmの、併せて約7. 5kmも専用道路を走るのです。白河駅前~磐城棚倉駅間は26. 0kmですので、その3割弱が廃線跡を活用した専用道路ということになります。
大正時代にできたローカル私鉄ですから、多くの踏切がありました。そのため、いまも専用道路と交差する一般道は多くあります。その交差点毎に、左上の写真にある案内板が建っています。
「JRバス関東専用道路」と案内されていて、「一般車通行禁止」と大書した左側には「歩行者・自転車も通行できません」と記されています。
日中は1時間に片道1本、往復で2本走るだけの路線なので、ついこの専用道路を歩いてみたくなりますが、ルールですからダメですよね。あきらめてやや遠回りになる一般道を歩いてみたところ、鉄道時代を思い起こす橋が見られたり、冒頭の写真にあるきれいなサイドビューが眺められるところもありました。橋の橋脚にはレンガ巻きのものもありましたので、これは鉄道時代の橋りょうをそのまま使用しているとみて良いでしょう。
白棚線を見ている中で、特に気に入ったのが右写真の番沢停留所です。
上下の待合小屋の間はやや広くなっていて、バスがすれ違いできる幅にしてあります。写真に写る待合小屋のうち、バスの向こう側の青い待合小屋近くの土手をみると、鉄道境界標がありました。土手の位置が変わっていないということは、現駅時代から向こう側は変わっていないことになります。となると、手前側が駅前広場だったのでしょう。
写真に写っている大木は、駅前広場にあったものと推測されます。ただし、代替バスが走りはじめた頃はまだ小さかったことでしょう。この田園地帯にポツンとある駅は、さぞ牧歌的な雰囲気だったことでしょうね。
ところで、この写真のバスは、一般塗装のJR関東バスです。現地で見た限りでは、3台で運行しているようですので、検査等で運転していない日を除けば3本に1本が60周年記念ラッピング車となります。
1時間に片道1本ですけど、全線の所要時間は約50分ですので、片道乗り通せば、乗っているバスか対向してくるバス、もしくは次にやってくるバスのどれかが記念ラッピングバスということになります。
なお、白河側は東北新幹線の新白河駅にも立ち寄りますので、アクセスが便利です。
掲載日:2017年10月13日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。