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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
日本初の鉄道は新橋ではなく長崎…!? [No.H265]
右の写真は、長崎にある「我が国 鉄道発祥の地」碑です。
日本の鉄道発祥といえば、明治5(1872)年に新橋~横浜間で走った鉄道ということを、学校で習いました。それなのに、どうして長崎が…??? と思ってしまいますよね。
実は、長崎の貿易商として知られるトーマス・グラバーが、江戸末期の慶応元(1865)年に英国から持ち込んだ蒸気機関車を、この地から約400メートルの区間で、客車に人を乗せて走らせているのです。住居が観光名所のグラバー邸となっている、あのグラバー邸の主(あるじ)です。商談のために実物の鉄道一式を持ち込んで走らせたのですから、随分と豪快な話ですね。
ただし、商談が目的でしたから、営業運転としては教科書で習ったとおり、新橋~横浜間が日本初の鉄道となります。
ところで、日本初の鉄道を唱えているところが、他にもあります。
1853年にロシア使節のプチャーチンが同じ長崎に持ち込んだ蒸気機関車の模型。それに翌1854年に黒船でやってきたアメリカ使節のペリーが浦賀に持ち込んだ蒸気機関車です。どちらも模型だったそうですが、実際に走ったとの記録があります。
さらに、長崎でその走りをみた佐賀藩では、1855年に独自で設計・製造に着手しています。その時にできた「蒸気車雛形」は現存し、佐賀市内の公益財団法人鍋島報效会に保管展示されています。これが、国産初の蒸気機関車と位置付けられているようです。
鉄道は明治になって文明開化とともにやってきたとのイメージがありますが、実は江戸末期から、すでに先進的なところでは研究がされていたのですね。
ちなみに、佐賀藩で「蒸気車雛形」の製造にあたった技術者のなかに、からくり儀右衛門と呼ばれた発明家・田中久重がいました。同氏は、電機メーカー東芝の創立者です。
先に記した「我が国 鉄道発祥の地」碑は、長崎市民病院の前に建てられています。
路面電車の長崎電気軌道・市民病院前電停のすぐ東側です。
この電停付近も含めて、長崎電気軌道の市街地部分は、架線柱が軌道の中央に建てられていますので、門型の架線柱や、道路端まで架線を張る旧来の電化方式に比べて、スッキリとした見た目になっています。「センターポール化」と呼ばれる景観対策です。
その長崎電気軌道に乗って、若葉町電停まで移動しましょう。築町電停で5系統から1系統に乗り換えて若葉町電停までは6.0kmもありますが、運賃は120円です。乗り切り制運賃ですが、築町での両系統乗換は割り増しなしで良いのです。安いですよね。
5系統は8分毎、1系統は5分毎に電車が来ますから、さほど待たずに乗れるのも嬉しいです。
若葉町電停は長崎大学前電停の次で、終点の赤迫電停まであと4電停800mという場所です。JR長崎本線は、この電停の近くで二手に分かれています。そのうち多くの列車が走る南回りは、このあたりを地下トンネルで抜けています。
一方、長与(ながよ)まわりと呼ばれる旧線は、非電化のまま地上を走っています。目指すは、その旧線にある踏切です。
若葉町電停で長崎電気軌道を下車したら、100mほど戻ったところにある交差点を西に行きます。交差点から50mほどのところにある踏切が目的地です。
ここで踏切名を見ると、「音無踏切」と書いてあります。踏切機器の収納部分には、「おとなし」と平仮名で読みが書いてあります。
おとなし…音がない…無音? と思ったところで、警報機が鳴り、遮断器が降りました。あれ? 音が出てるじゃん。故障だぁ~ とフリーダイヤルに電話するのはやめましょうね。
音無というのは地名であって、踏切はちゃんとした第一種踏切なのです。ただし、地図を見ると、下車した電停と同じ若葉町と、音無町の境目にあるようです。
その音無町は、音無踏切のすぐ北から末広がりに広がっている地名で、500mほど線路沿いを北上すると西浦上駅に行けます。
西浦上駅は長崎本線の駅ですが、前述のとおり非電化の旧線にあるため、日中は上下とも各1時間に1本程度しかありません。そんな無人駅をこの機会に利用するのも良いですし、西浦上駅から長崎電気軌道の終点となる赤迫駅までは500m足らずなので、乗り潰しのため赤迫駅まで行ってから長崎に戻るという手もあります。
決して見て面白い踏切ではありませんが、話のネタになる踏切です。
掲載日:2017年12月08日
日本の鉄道発祥といえば、明治5(1872)年に新橋~横浜間で走った鉄道ということを、学校で習いました。それなのに、どうして長崎が…??? と思ってしまいますよね。
実は、長崎の貿易商として知られるトーマス・グラバーが、江戸末期の慶応元(1865)年に英国から持ち込んだ蒸気機関車を、この地から約400メートルの区間で、客車に人を乗せて走らせているのです。住居が観光名所のグラバー邸となっている、あのグラバー邸の主(あるじ)です。商談のために実物の鉄道一式を持ち込んで走らせたのですから、随分と豪快な話ですね。
ただし、商談が目的でしたから、営業運転としては教科書で習ったとおり、新橋~横浜間が日本初の鉄道となります。
ところで、日本初の鉄道を唱えているところが、他にもあります。
1853年にロシア使節のプチャーチンが同じ長崎に持ち込んだ蒸気機関車の模型。それに翌1854年に黒船でやってきたアメリカ使節のペリーが浦賀に持ち込んだ蒸気機関車です。どちらも模型だったそうですが、実際に走ったとの記録があります。
さらに、長崎でその走りをみた佐賀藩では、1855年に独自で設計・製造に着手しています。その時にできた「蒸気車雛形」は現存し、佐賀市内の公益財団法人鍋島報效会に保管展示されています。これが、国産初の蒸気機関車と位置付けられているようです。
鉄道は明治になって文明開化とともにやってきたとのイメージがありますが、実は江戸末期から、すでに先進的なところでは研究がされていたのですね。
ちなみに、佐賀藩で「蒸気車雛形」の製造にあたった技術者のなかに、からくり儀右衛門と呼ばれた発明家・田中久重がいました。同氏は、電機メーカー東芝の創立者です。
先に記した「我が国 鉄道発祥の地」碑は、長崎市民病院の前に建てられています。
路面電車の長崎電気軌道・市民病院前電停のすぐ東側です。
この電停付近も含めて、長崎電気軌道の市街地部分は、架線柱が軌道の中央に建てられていますので、門型の架線柱や、道路端まで架線を張る旧来の電化方式に比べて、スッキリとした見た目になっています。「センターポール化」と呼ばれる景観対策です。
その長崎電気軌道に乗って、若葉町電停まで移動しましょう。築町電停で5系統から1系統に乗り換えて若葉町電停までは6.0kmもありますが、運賃は120円です。乗り切り制運賃ですが、築町での両系統乗換は割り増しなしで良いのです。安いですよね。
5系統は8分毎、1系統は5分毎に電車が来ますから、さほど待たずに乗れるのも嬉しいです。
若葉町電停は長崎大学前電停の次で、終点の赤迫電停まであと4電停800mという場所です。JR長崎本線は、この電停の近くで二手に分かれています。そのうち多くの列車が走る南回りは、このあたりを地下トンネルで抜けています。
一方、長与(ながよ)まわりと呼ばれる旧線は、非電化のまま地上を走っています。目指すは、その旧線にある踏切です。
若葉町電停で長崎電気軌道を下車したら、100mほど戻ったところにある交差点を西に行きます。交差点から50mほどのところにある踏切が目的地です。
ここで踏切名を見ると、「音無踏切」と書いてあります。踏切機器の収納部分には、「おとなし」と平仮名で読みが書いてあります。
おとなし…音がない…無音? と思ったところで、警報機が鳴り、遮断器が降りました。あれ? 音が出てるじゃん。故障だぁ~ とフリーダイヤルに電話するのはやめましょうね。
音無というのは地名であって、踏切はちゃんとした第一種踏切なのです。ただし、地図を見ると、下車した電停と同じ若葉町と、音無町の境目にあるようです。
その音無町は、音無踏切のすぐ北から末広がりに広がっている地名で、500mほど線路沿いを北上すると西浦上駅に行けます。
西浦上駅は長崎本線の駅ですが、前述のとおり非電化の旧線にあるため、日中は上下とも各1時間に1本程度しかありません。そんな無人駅をこの機会に利用するのも良いですし、西浦上駅から長崎電気軌道の終点となる赤迫駅までは500m足らずなので、乗り潰しのため赤迫駅まで行ってから長崎に戻るという手もあります。
決して見て面白い踏切ではありませんが、話のネタになる踏切です。
掲載日:2017年12月08日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。