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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
鉄道記念物1つ、準鉄道記念物が7つもある墓地 [No.H273]
横浜外国人墓地の存在は、観光スポットとしてもよく知られています。
幕末から明治にかけて、開国した日本にやってきた外国人には、不慮の事故などで故国に帰ることができずに亡くなった方もいます。そんな方々のための墓地です。
そこには、日本初の鉄道を敷設するためにやってきた、御雇外国人の墓もあります。なかでも知られているのは、建築師長として来日し、新橋~横浜間に日本初の鉄道を敷設するために尽力したエドモンド・モレルの墓でしょう。1870(明治3)年3月に来日して多大な貢献をしたものの、過労から結核を患ってしまい、翌1871年9月に亡くなっています。
試運転の開始こそ同年8月と存命中でしたが、新橋~横浜間の開業は翌1872年9月12日(太陽暦では10月14日)で、品川~横浜間の仮営業も1872年5月7日(同6月12日)でしたので、亡くなったあとのことでした。
ちなみに、看病にあたっていた奥様は、エドモンド・モレルの死後わずか12時間で後を追ったということです。やはり結核が死因だったようです。
この横浜外人墓地の一角に夫妻のお墓があり、その功績を称えて1962(昭和37)年10月14日に鉄道記念物に指定されました。筆者が訪ねたときには、石碑の前にあるエドモンド・モレルのレリーフに、花束が手向けられていました。
エドモンド・モレルの墓の四隅には、レールをかたどったモニュメントがあります。鉄道建設に貢献した氏の墓に相応しいものでしょう。
また、同氏のレリーフの台座には「東日本旅客鉄道株式会社」の刻印があります。国鉄が鉄道記念物に指定して管理してきたものを、いまはJR東日本が受け継いでいるのでしょう。
この横浜外人墓地は通常非公開ですが、2月~7月と9月~12月の土・日・祝日12~19時には一般公開されています。これは、墓地の管理が公益財団法人横浜外国人墓地であり、縁故者による墓地使用料だけでは維持費が厳しいため、ひとり200円程度の募金を徴収することで財政面を補っているためということです。
場所は、みなとみらい線の元町・中華街駅を下車して、6番出口(アメリカ山公園口)を出て徒歩5分程度のところです。このアメリカ山公園口は、改札階からエレベーターやエスカレーターで登ったところにあります。他の出口から行くと、短いながらやや急な坂を登ることになります。
港の見える丘公園からも徒歩5分程度ですので、同地の観光と兼ねて行くこともできる好立地です。
横浜外国人墓地にある鉄道記念物は、エドモンド・モレルの墓だけですが、準鉄道記念物のお墓がさらに7つもあります。次の方々のお墓です。
1.ジョン・イングランド建築副師
2.ジョン・ダイアック建築副師
3.ゼオドラ・シャン建築助役
4.チャーレス・キングストン鉄道巡査取締役
5.ヘンリー・ホートン客車荷車頭取兼組立方
6.セオボールト・パーセル医官長
7.エドウィン・ホイーラー医官
それぞれ、どのような方だったかの簡単な解説などもあります。その解説なども含めて、JR東日本が対応しているようです。
ただし、まとまった場所にあるわけではありません。募金を払って入場するときに、巡回コースの案内所をくださいますので、それを見ると、どこにどのお墓があるかが分かります。
その巡回コースから外れたお墓を見学することは認められていませんが、これら鉄道記念物と準鉄道記念物は、大きく3箇所に分かれているものの、すべて巡回コースにあります。ですから、順路に沿って歩けば、すべてを見ることができます。
横浜中華街からも近いところですので、週末に横浜に行く機会があれば、寄ってみてはいかがでしょうか。
掲載日:2018年02月16日
幕末から明治にかけて、開国した日本にやってきた外国人には、不慮の事故などで故国に帰ることができずに亡くなった方もいます。そんな方々のための墓地です。
そこには、日本初の鉄道を敷設するためにやってきた、御雇外国人の墓もあります。なかでも知られているのは、建築師長として来日し、新橋~横浜間に日本初の鉄道を敷設するために尽力したエドモンド・モレルの墓でしょう。1870(明治3)年3月に来日して多大な貢献をしたものの、過労から結核を患ってしまい、翌1871年9月に亡くなっています。
試運転の開始こそ同年8月と存命中でしたが、新橋~横浜間の開業は翌1872年9月12日(太陽暦では10月14日)で、品川~横浜間の仮営業も1872年5月7日(同6月12日)でしたので、亡くなったあとのことでした。
ちなみに、看病にあたっていた奥様は、エドモンド・モレルの死後わずか12時間で後を追ったということです。やはり結核が死因だったようです。
この横浜外人墓地の一角に夫妻のお墓があり、その功績を称えて1962(昭和37)年10月14日に鉄道記念物に指定されました。筆者が訪ねたときには、石碑の前にあるエドモンド・モレルのレリーフに、花束が手向けられていました。
エドモンド・モレルの墓の四隅には、レールをかたどったモニュメントがあります。鉄道建設に貢献した氏の墓に相応しいものでしょう。
また、同氏のレリーフの台座には「東日本旅客鉄道株式会社」の刻印があります。国鉄が鉄道記念物に指定して管理してきたものを、いまはJR東日本が受け継いでいるのでしょう。
この横浜外人墓地は通常非公開ですが、2月~7月と9月~12月の土・日・祝日12~19時には一般公開されています。これは、墓地の管理が公益財団法人横浜外国人墓地であり、縁故者による墓地使用料だけでは維持費が厳しいため、ひとり200円程度の募金を徴収することで財政面を補っているためということです。
場所は、みなとみらい線の元町・中華街駅を下車して、6番出口(アメリカ山公園口)を出て徒歩5分程度のところです。このアメリカ山公園口は、改札階からエレベーターやエスカレーターで登ったところにあります。他の出口から行くと、短いながらやや急な坂を登ることになります。
港の見える丘公園からも徒歩5分程度ですので、同地の観光と兼ねて行くこともできる好立地です。
横浜外国人墓地にある鉄道記念物は、エドモンド・モレルの墓だけですが、準鉄道記念物のお墓がさらに7つもあります。次の方々のお墓です。
1.ジョン・イングランド建築副師
2.ジョン・ダイアック建築副師
3.ゼオドラ・シャン建築助役
4.チャーレス・キングストン鉄道巡査取締役
5.ヘンリー・ホートン客車荷車頭取兼組立方
6.セオボールト・パーセル医官長
7.エドウィン・ホイーラー医官
それぞれ、どのような方だったかの簡単な解説などもあります。その解説なども含めて、JR東日本が対応しているようです。
ただし、まとまった場所にあるわけではありません。募金を払って入場するときに、巡回コースの案内所をくださいますので、それを見ると、どこにどのお墓があるかが分かります。
その巡回コースから外れたお墓を見学することは認められていませんが、これら鉄道記念物と準鉄道記念物は、大きく3箇所に分かれているものの、すべて巡回コースにあります。ですから、順路に沿って歩けば、すべてを見ることができます。
横浜中華街からも近いところですので、週末に横浜に行く機会があれば、寄ってみてはいかがでしょうか。
掲載日:2018年02月16日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。