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汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム

汽車旅ひろば


  • ひろやすの汽車旅コラム
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!

JR北海道の夕張支線廃止は、来年4月1日と決定 [No.H282]

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廃止まで一年をきった石勝線の通称・夕張支線。その終点となる夕張駅は1面1線の無人駅。
石勝線の新夕張駅から分岐して夕張駅までの16. 1kmは、夕張支線とも呼ばれるJR北海道の路線です。去る3月26日にJR北海道は、同区間を来年(2019年)4月1日(月)に廃止する旨の届け出を国土交通大臣宛に提出しました。
   石勝線(新夕張・夕張間)の鉄道事業廃止届の提出について
この結果、来年3月31日が同区間の最終営業日となることが決まりました。
廃止前に乗りに行きたいと思っている方も多いと思いますので、その参考としていただけるよう、今回と次回で両端駅を含めて6駅ある夕張支線を、駅を中心に紹介します。

その最初は、終着駅となる夕張駅です。
石勝線は、以前、夕張線という線名でした。
夕張山地で産出される質の高い夕張炭を運び出すための路線として建設され、明治25(1892)年11月1日に追分駅から夕張駅まで開業しています。
当時の夕張駅は、現・夕張駅より2キロあまり先にありました。ホームに降り立つと、広い構内に並行した山は、採掘のため木々がなくなり山肌がみえていました。
この構内からの石炭出荷がなくなった昭和60(1985)年10月13日に、町中に近い現・夕張市役所付近に夕張駅を移設して、路線長は1.3キロ短くなりました。
いま、夕張市石炭史料館となっているところが、かつての夕張駅と駅構内です。
平成2(1990)年12月26日には、さらに800メートル路線を短縮して、いまの夕張駅ができました。なんとも素っ気ない1面1線の夕張駅は、このような経緯を経た結果です。


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風見鶏を載せたとんがり屋根の夕張駅舎。後ろの巨大な建物は、ホテルマウントレースイ。
上の写真をみると、現・夕張駅は辺鄙なところにあるように見えますよね。
ところが、その駅舎は左の写真のような状態です。
とんがり屋根の時計台に風見鶏がつく観光地風の駅舎ですが、背後になんとも大きなビルが建っています。このビルは、ホテルマウントレースイという、夕張市が建てたリゾートホテルです。背後にスキー場を擁した本格化リゾートホテルです。
前述のとおり、駅舎を移転したのは1990年のことでした。バブル経済の末期で、日本中にお金があり余って浮かれていた時代です。
その時代背景から、この大型箱物投資で石炭産業後の夕張活性化をと夕張市が狙ったわけです。リゾートホテルに多くの客が来る想定から、その玄関口となる場所に駅も移転しました。先に記した石炭博物館も、並行して整備されました。
その結果はみなさんご存知の通りで、夕張市は財政破綻して厳しい市政運営を強いられることになりました。
ホテルマウントレースイや背後のスキー場も含めた夕張市の観光4施設は、それを運営していた指定管理者の夕張リゾートとともに、昨年、中国系の企業が買収しています。


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夕張駅からわずか1. 3kmの隣接駅、鹿ノ谷駅。ホームの長さから、かつて賑わっていたことが感じられる。
夕張駅を発車した列車は、左カーブを過ぎるとすぐに鹿ノ谷駅に到着します。駅間はわずかに1.3キロ。かつての夕張駅は3.4キロ先にあったので、ほどほどの駅間だったわけですが、前出のとおり駅が2回移転して、鹿ノ谷駅に近付いたのです。
駅の開業は明治34年と夕張駅より9年遅れていますが、駅前には住宅があり、郵便局もあります。山あいながら、住宅を建てられる平坦地があるため、ここに住宅ができ、駅も作られたのでしょう。
大正15年には夕張鉄道も国鉄線に並行して敷かれ、鹿ノ谷駅構内には転車台もある機関区が設けられました。いまも、夕張支線の線路に並行して廃線跡の平坦な土地が続き、鹿ノ谷駅構内には機関区跡となる広い平坦地が残っています。
いまや、一日の列車はわずかに5往復。全列車がキハ40の単行ワンマン運転です。その割にホームが長いことから、かつては賑わっていたことが想像できます。


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広い構内が広がる清水沢駅。廃線後に、夕張市の公共交通の結節点となる予定で、大きく変貌する見込み
鹿ノ谷駅から次の清水沢駅までは、6.6キロもあります。
「幸福の黄色いハンカチも想い出ひろば」という、映画「幸福の黄色いハンカチ」のラストシーンロケ地がいまも残されているところは、鹿ノ谷駅から約2キロです。列車内からは残念ながら見えませんが、同地を過ぎると谷間を川沿いに走る区間となります。
ようやく開けてきたと思うと、清水沢駅に到着です。
かつて三菱大夕張鉄道がこの駅から伸びていて、貨車を国鉄に受け渡ししていたことから、広大な構内を有します。貨車の積み荷は当初木材で、その後石炭が加わり、大夕張ダムの建設時にはダム資材も運んだということです。
ところが、いまは前述のとおりキハ40系単行がやってくるだけですので、何もない広場の一端にポツンとホームがあるだけという状態です。
駅舎とホームが離れていますが、三菱大夕張鉄道の線路とホームが駅舎に近い側にあったためです。筆者はかつて、この駅舎付近から三軸台車の客車の屋根から、石炭ストーブの煙が出ているところを写真に撮った記憶があります。


掲載日:2018年04月20日


●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。