- 2018年07月27日(金)掲載
- [No.H295] おもちゃ列車・駅・美術館を楽しめる由利高原鉄道[最終回]
- 2018年07月20日(金)掲載
- [No.H294] 拙著「東海鉄道散歩」が7月21日に発刊されます
- 2018年07月13日(金)掲載
- [No.H293] 鉄道日本一(7) 最短営業距離のモノレールと地下鉄
- 2018年07月06日(金)掲載
- [No.H292] 山陰デスティネーションキャンペーンで注目の列車
- 2018年06月29日(金)掲載
- [No.H291] 貨物列車が通せんぼをする踏切…秩父鉄道
- 2018年06月22日(金)掲載
- [No.H290] 鉄道の父「井上勝」像でつながる山陰本線萩駅と東京駅
- 2018年06月15日(金)掲載
- [No.H289] 鉄道の父「井上勝」像がある、山陰本線萩駅
- 2018年06月08日(金)掲載
- [No.H288] 大阪市営地下鉄は、民営化して Osaka Metro に
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
10月14日「鉄道の日」にまつわる話題 [No.H008]
今週末の10月14日(日)は「鉄道の日」です。
そこで、「鉄道の日」にまつわる話題を集めてみました。
「鉄道の日」は、明治5年10月14日に日本初の鉄道が新橋〜横浜間で開業したことを記念した日とされています。ところが、実はこの日に鉄道は営業をしていませんでした。一方、前日も翌日も鉄道は営業していました…そんな馬鹿な! と思いますが、事実なのです。
というのも、明治5年10月14日は明治天皇をお迎えしての開業式典を行った日なのです。開業式典を行ったことから、この日を開業日とし、それ以前は仮開業としています。仮開業とはいえ、実際にダイヤに則って運行し、もちろん運賃も徴収していました。ですから、より正確にいうと、明治5年10月14日は日本初の鉄道が「開業」した日ではあるものの、「開通」した日ではありません。
では、日本で初めての鉄道が「開通」したのはいつのことでしょう。それは、明治5年5月7日だったとされています。その仮開業区間は、品川〜横浜でした。この時点では、まだ品川〜新橋の工事が終わっていなかったということです。
品川〜新橋の線路が開通したのは、2ヶ月以上遅れた7月25日だそうです。これでようやく当初予定の新橋〜横浜が全通し、安全も確認されたところで、いよいよ明治天皇をお迎えしての開業式典を挙行という段取りでした。ところが、予定された開業式典の日に台風がやってきて、式典は中止になってしまいます。そこで、改めて設定された開業式典の日は9月12日でした。今度は無事に挙行され、日本の鉄道は正式に開業しました。
あれれ? 9月12日? 10月14日じゃないの? と思ってしまいますが、実は、明治5年まで日本は太陰暦を採用していました。旧暦とも呼ばれるもので、明治5年12月2日をもって太陰暦は終了し、翌日を明治6年1月1日としました。ですから、明治5年の12月はわずか2日間しかなかったのです。この関係で、鉄道が正式開業したのは9月12日でしたが、太陽暦に換算すると10月14日となるわけです。また、鉄道の開業から太陰暦終了まではわずか2ヶ月半あまりですから、鉄道の歴史を語る際には、その開業日まで遡って太陽暦を用いることが一般的になっています。
さて、開業した新橋〜横浜間の起点は新橋駅です。とはいっても、いまの新橋駅ではなく、もっと東にありました。いま、汐留シオサイトとなっている再開発区域です。この汐留シオサイトは、旧新橋停車場から発展していった汐留貨物ターミナルの跡地なのです。だから、あれだけ広大な再開発用地が平成になってもあったわけです。東海道本線が新橋起点から東京起点となったのは、今月1日から復元公開され話題となっている東京駅が完成した、大正3年12月5日です。このとき、旧新橋駅から延長するのではなく、少し南側で分岐する今のルートとなりました。また、同日付で、新橋駅は烏森駅にその名をゆずり、汐留駅と駅名変更しています。
その汐留駅は貨物ターミナルとして存続しましたが、貨物列車がコンテナ輸送主体となった時代に都心部のターミナルは時代にあわず、廃止となりました。その跡地を再開発する際、世界に冠たる日本の鉄道の発祥之地はさすがに無視できませんでした。そこで、まずは明治期の遺構を調査し、さらに旧新橋停車場に残されていた石積みなどは保存したうえで、駅舎の復元を行いました。
こうして建てられた旧新橋停車場は、遺構を確認できる場所を設けたり、鉄道歴史展示室として無料公開する常設の場を設けたりしています。また、ホームも再現していて、一部には線路も敷かれています。そのレールをみると、明治初期に使用されていたという双頭レールが使われています。レールは通常、下が平らな幅広で、車輪が転がる上部が細く丸みを帯びた断面をしています。しかし、この双頭レールは文字どおり上下どちらも車輪が転がる面になっていて、すり減ったら裏返して使用するようにしたアイデアグッズでした。しかし、実際には上下逆にすると据わりが悪く実用的では無かったようで、上下を反転させて利用した例はないようです。
その線路の先には車止めがありますが、車止めの後ろ側には0マイル標識が設置されています。明治3年に日本初の鉄道敷設の測量を開始する際に、起点となる杭が打ち込まれた場所がここだということです。この0マイル標識は新しいもののように見えますが、昭和33年10月14日に鉄道記念物に指定されたものです。また、文化庁からも日本の鉄道発祥の地として、指定史跡に認定されています。
なお、鉄道発足当時はマイルを使用していましたが、昭和5年4月1日に鉄道でメートル法を施行したため、いまでは0キロポストと呼ばれています。
旧新橋停車場の1階はビアホールになっています。楽しくビールを飲みながら、古の歴史ロマンにも思いを馳せる…そんな一夜も良いのではないでしょうか。
掲載日:2012年10月12日
そこで、「鉄道の日」にまつわる話題を集めてみました。
「鉄道の日」は、明治5年10月14日に日本初の鉄道が新橋〜横浜間で開業したことを記念した日とされています。ところが、実はこの日に鉄道は営業をしていませんでした。一方、前日も翌日も鉄道は営業していました…そんな馬鹿な! と思いますが、事実なのです。
というのも、明治5年10月14日は明治天皇をお迎えしての開業式典を行った日なのです。開業式典を行ったことから、この日を開業日とし、それ以前は仮開業としています。仮開業とはいえ、実際にダイヤに則って運行し、もちろん運賃も徴収していました。ですから、より正確にいうと、明治5年10月14日は日本初の鉄道が「開業」した日ではあるものの、「開通」した日ではありません。
では、日本で初めての鉄道が「開通」したのはいつのことでしょう。それは、明治5年5月7日だったとされています。その仮開業区間は、品川〜横浜でした。この時点では、まだ品川〜新橋の工事が終わっていなかったということです。
品川〜新橋の線路が開通したのは、2ヶ月以上遅れた7月25日だそうです。これでようやく当初予定の新橋〜横浜が全通し、安全も確認されたところで、いよいよ明治天皇をお迎えしての開業式典を挙行という段取りでした。ところが、予定された開業式典の日に台風がやってきて、式典は中止になってしまいます。そこで、改めて設定された開業式典の日は9月12日でした。今度は無事に挙行され、日本の鉄道は正式に開業しました。
あれれ? 9月12日? 10月14日じゃないの? と思ってしまいますが、実は、明治5年まで日本は太陰暦を採用していました。旧暦とも呼ばれるもので、明治5年12月2日をもって太陰暦は終了し、翌日を明治6年1月1日としました。ですから、明治5年の12月はわずか2日間しかなかったのです。この関係で、鉄道が正式開業したのは9月12日でしたが、太陽暦に換算すると10月14日となるわけです。また、鉄道の開業から太陰暦終了まではわずか2ヶ月半あまりですから、鉄道の歴史を語る際には、その開業日まで遡って太陽暦を用いることが一般的になっています。
さて、開業した新橋〜横浜間の起点は新橋駅です。とはいっても、いまの新橋駅ではなく、もっと東にありました。いま、汐留シオサイトとなっている再開発区域です。この汐留シオサイトは、旧新橋停車場から発展していった汐留貨物ターミナルの跡地なのです。だから、あれだけ広大な再開発用地が平成になってもあったわけです。東海道本線が新橋起点から東京起点となったのは、今月1日から復元公開され話題となっている東京駅が完成した、大正3年12月5日です。このとき、旧新橋駅から延長するのではなく、少し南側で分岐する今のルートとなりました。また、同日付で、新橋駅は烏森駅にその名をゆずり、汐留駅と駅名変更しています。
その汐留駅は貨物ターミナルとして存続しましたが、貨物列車がコンテナ輸送主体となった時代に都心部のターミナルは時代にあわず、廃止となりました。その跡地を再開発する際、世界に冠たる日本の鉄道の発祥之地はさすがに無視できませんでした。そこで、まずは明治期の遺構を調査し、さらに旧新橋停車場に残されていた石積みなどは保存したうえで、駅舎の復元を行いました。
こうして建てられた旧新橋停車場は、遺構を確認できる場所を設けたり、鉄道歴史展示室として無料公開する常設の場を設けたりしています。また、ホームも再現していて、一部には線路も敷かれています。そのレールをみると、明治初期に使用されていたという双頭レールが使われています。レールは通常、下が平らな幅広で、車輪が転がる上部が細く丸みを帯びた断面をしています。しかし、この双頭レールは文字どおり上下どちらも車輪が転がる面になっていて、すり減ったら裏返して使用するようにしたアイデアグッズでした。しかし、実際には上下逆にすると据わりが悪く実用的では無かったようで、上下を反転させて利用した例はないようです。
その線路の先には車止めがありますが、車止めの後ろ側には0マイル標識が設置されています。明治3年に日本初の鉄道敷設の測量を開始する際に、起点となる杭が打ち込まれた場所がここだということです。この0マイル標識は新しいもののように見えますが、昭和33年10月14日に鉄道記念物に指定されたものです。また、文化庁からも日本の鉄道発祥の地として、指定史跡に認定されています。
なお、鉄道発足当時はマイルを使用していましたが、昭和5年4月1日に鉄道でメートル法を施行したため、いまでは0キロポストと呼ばれています。
旧新橋停車場の1階はビアホールになっています。楽しくビールを飲みながら、古の歴史ロマンにも思いを馳せる…そんな一夜も良いのではないでしょうか。
掲載日:2012年10月12日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
本来あった位置に再現されたものだが、
日本初の鉄道列車は、この駅まで来なかった。