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- 2018年07月13日(金)掲載
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- 2018年07月06日(金)掲載
- [No.H292] 山陰デスティネーションキャンペーンで注目の列車
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- [No.H290] 鉄道の父「井上勝」像でつながる山陰本線萩駅と東京駅
- 2018年06月15日(金)掲載
- [No.H289] 鉄道の父「井上勝」像がある、山陰本線萩駅
- 2018年06月08日(金)掲載
- [No.H288] 大阪市営地下鉄は、民営化して Osaka Metro に
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
交通博物館跡が大きく変身…高架橋は9月14日にOpen! [No.H052]
かつて交通博物館があった神田須田町には、行かれた記憶がある方も多いことでしょう。
その交通博物館は、もともと万世橋駅として開業した、中央線の起点となっていた駅でした。1912(明治45)年の開業で、1919(大正8)年には中央線が東京駅まで延長となって中間駅となりました。1923(大正12)年の関東大震災で被災したあと、2代目駅舎も同地に建設されました。さらに、1936(昭和11)年には、後に交通博物館となる鉄道博物館が同駅に併設されました。しかし、戦時下の1943(昭和18)年に駅としての営業を止めます。さらに、2006(平成18)年には交通博物館も閉館となりました。
その跡地のうち交通博物館となっていた部分は再開発され、JR神田万世橋ビルに生まれ変わりました。地上20階、地下2階の高層オフィスビルです。
同ビルの周囲には自由通路があります。そのうち中央線高架沿いのところには、まるい強化ガラスをはめて、足下を見られるようにしているところがあります。万世橋駅舎の基礎が残っていて、その様子を見学できる「遺構サークル」と名づけられたものです。
また、同ビルの南側にある角地には、不思議な渦が描かれた広場があります。よくみると、1872(明治5)年の新橋~横浜間鉄道開業からはじまる、歴史的な鉄道関連事項を記してあります。例えば、1912年と記されたところには「新橋駅~下関駅間で、日本初の特別急行列車が運行を開始」と記してあるのです。デザイン性の優れたものなので、うっかり見落としそうになりますが、同地に行くなら是非見ておきたいものです。
さらに、中央線高架橋のレンガアーチ部分を使用して、7月22日~8月18日に<神田麦酒祭り「ビアアーチ」>が開催されました。高架橋はレンガ製で、歴史を感じさせるものです。その高架下は煉瓦がアーチ状に組まれていて、間近にその歴史を感じられるのです。その場を利用して生ビールを提供するというイベントで、レンガアーチ内とその周辺にベンチを配してあります。そこで、気軽に歴史的な高架橋とビールを楽しめるというイベントでした。実際、会社帰りのサラリーマン等が次々に立ち寄っていて、なかなか盛況なようでした。
このイベントは既に終了しましたが、9月14日(土)には高架橋部分が正式オープンします。そのプレイベントの位置づけだったのです。
その正式オープン時には、『mAAch ecute(マーチ エキュート) 神田万世橋』という商業施設となり、高架橋下が全て解放されるようです。さらに、万世橋駅当時に使用され、いまも残る1912(明治45)年と1935(大正10)年に造られた階段が、ともに公開されます。その階段を昇ったところには、旧中央線ホームも残っています。中央線の御茶ノ水~神田を乗るときに注意していると判るのですが、上下線間にそのホームはあります。そのホーム跡に、なんと展望カフェができるそうです。…つまり、いまもホーム両端を中央線の列車が行き来しているところにカフェができるわけです。
大きく変わりつつ、レンガ造りの高架橋はそのまま鉄道遺産として活用し続ける『mAAch ecute 神田万世橋』。果たしてどんな様子になるのか、今から楽しみですよね。
掲載日:2013年08月23日
その交通博物館は、もともと万世橋駅として開業した、中央線の起点となっていた駅でした。1912(明治45)年の開業で、1919(大正8)年には中央線が東京駅まで延長となって中間駅となりました。1923(大正12)年の関東大震災で被災したあと、2代目駅舎も同地に建設されました。さらに、1936(昭和11)年には、後に交通博物館となる鉄道博物館が同駅に併設されました。しかし、戦時下の1943(昭和18)年に駅としての営業を止めます。さらに、2006(平成18)年には交通博物館も閉館となりました。
その跡地のうち交通博物館となっていた部分は再開発され、JR神田万世橋ビルに生まれ変わりました。地上20階、地下2階の高層オフィスビルです。
同ビルの周囲には自由通路があります。そのうち中央線高架沿いのところには、まるい強化ガラスをはめて、足下を見られるようにしているところがあります。万世橋駅舎の基礎が残っていて、その様子を見学できる「遺構サークル」と名づけられたものです。
また、同ビルの南側にある角地には、不思議な渦が描かれた広場があります。よくみると、1872(明治5)年の新橋~横浜間鉄道開業からはじまる、歴史的な鉄道関連事項を記してあります。例えば、1912年と記されたところには「新橋駅~下関駅間で、日本初の特別急行列車が運行を開始」と記してあるのです。デザイン性の優れたものなので、うっかり見落としそうになりますが、同地に行くなら是非見ておきたいものです。
さらに、中央線高架橋のレンガアーチ部分を使用して、7月22日~8月18日に<神田麦酒祭り「ビアアーチ」>が開催されました。高架橋はレンガ製で、歴史を感じさせるものです。その高架下は煉瓦がアーチ状に組まれていて、間近にその歴史を感じられるのです。その場を利用して生ビールを提供するというイベントで、レンガアーチ内とその周辺にベンチを配してあります。そこで、気軽に歴史的な高架橋とビールを楽しめるというイベントでした。実際、会社帰りのサラリーマン等が次々に立ち寄っていて、なかなか盛況なようでした。
このイベントは既に終了しましたが、9月14日(土)には高架橋部分が正式オープンします。そのプレイベントの位置づけだったのです。
その正式オープン時には、『mAAch ecute(マーチ エキュート) 神田万世橋』という商業施設となり、高架橋下が全て解放されるようです。さらに、万世橋駅当時に使用され、いまも残る1912(明治45)年と1935(大正10)年に造られた階段が、ともに公開されます。その階段を昇ったところには、旧中央線ホームも残っています。中央線の御茶ノ水~神田を乗るときに注意していると判るのですが、上下線間にそのホームはあります。そのホーム跡に、なんと展望カフェができるそうです。…つまり、いまもホーム両端を中央線の列車が行き来しているところにカフェができるわけです。
大きく変わりつつ、レンガ造りの高架橋はそのまま鉄道遺産として活用し続ける『mAAch ecute 神田万世橋』。果たしてどんな様子になるのか、今から楽しみですよね。
掲載日:2013年08月23日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
オフィスビルとして
"JR神田万世橋ビル"が完成し
雰囲気は一変している。