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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
肥薩線の旅1 SL人吉号を楽しむ [No.H102]
今回から、JR九州の肥薩線の魅力を3回に分けてご紹介していきます。
肥薩線は、その線名からわかるとおり、肥後(熊本県)と薩摩(鹿児島県)を結ぶ路線です。八代~人吉~吉松~隼人の124.2kmですが、この区間ごとにそれぞれの魅力があるのです。
いまでこそローカル線とされる肥薩線ですが、明治期に建設された際には鹿児島本線でした。それも、九州鉄道という私鉄が北から順に八代まで鉄道を開業させたため、肥薩線部分については、九州初の官設鉄道(国が建設・運営する鉄道)として造られたのです。九州鉄道は1907(明治40)年7月1日に国有化され、翌1908(明治41)年6月1日に八代~人吉間がまず開業していますので、開通時から鹿児島本線でした。この区間に、いま「SL人吉号」が走っているわけです。「SL人吉号」は、新八代駅を経て熊本駅まで鹿児島本線を直通していますが、これはもともとの鹿児島本線を忠実に走っていることになります。
「SL人吉号」は、8月8日付当コラム「大正の名機8620形が誕生して、今年で100年 [No.H100]」で記した通り、今からちょうど100年前に登場した8620形の58654号機を使用しています。58654号機は1922(大正11)年製で、本線上を営業運転する、日本最古の動態保存機関車です。
3両の客車を牽引しますが、内装はJR九州らしく鉄道デザイナーの水戸岡鋭冶氏による全面リニューアルを受けています。そのため、中間車にはビュッフェがあり、両端は展望ラウンジになっているなど、とても快適に過ごせます。先頭車の展望ラウンジは、58654号機が煙を吐いて揺れ動きながら牽引している様子が目の前で楽しめますし、最後尾は去りゆく風景を楽しむことができます。その楽しさは人気で、指定席そっちのけで展望ラウンジに長居する乗客がけっこう多いようです。また、このようにフリースペースの多い列車ですので、座席数は132名分と多くなく、指定席をとりづらい人気列車となっています。
なお、ボックスシートのようにみえますが、2名用席と4名用席を組み合わせた座席配置ですので、2名での乗車の際には、相席にならない可能性が高いところも嬉しい配慮です。
終点の人吉に着くと、乗客は58654号機の前にいって記念写真を撮りますが、ここでは敢えてホーム屋根の支柱に注目してみましょう。レールの地面に着く側を2本合わせて造った支柱なのです。近くでよくみると、支柱の形から、レールそのものであることを理解できると思います。人吉駅ホームのいちばん八代側の支柱付近に案内板が設置されていて、1889(明治22)年にドイツのドルトムント製と解説されています。九州鉄道が発注したものですから、同年に開業した博多~千歳川間もしくはその延伸区間に使われていたレールであることは間違いないでしょう。
ここまでに記してきただけでも、肥薩線は歴史のある路線で、その歴史がいまも息づいていることが判っていただけると思います。人吉から先にも、いろいろと近代化遺産がありますので、その主だったものを来週・再来週とご紹介いたします。
掲載日:2014年08月22日
肥薩線は、その線名からわかるとおり、肥後(熊本県)と薩摩(鹿児島県)を結ぶ路線です。八代~人吉~吉松~隼人の124.2kmですが、この区間ごとにそれぞれの魅力があるのです。
いまでこそローカル線とされる肥薩線ですが、明治期に建設された際には鹿児島本線でした。それも、九州鉄道という私鉄が北から順に八代まで鉄道を開業させたため、肥薩線部分については、九州初の官設鉄道(国が建設・運営する鉄道)として造られたのです。九州鉄道は1907(明治40)年7月1日に国有化され、翌1908(明治41)年6月1日に八代~人吉間がまず開業していますので、開通時から鹿児島本線でした。この区間に、いま「SL人吉号」が走っているわけです。「SL人吉号」は、新八代駅を経て熊本駅まで鹿児島本線を直通していますが、これはもともとの鹿児島本線を忠実に走っていることになります。
「SL人吉号」は、8月8日付当コラム「大正の名機8620形が誕生して、今年で100年 [No.H100]」で記した通り、今からちょうど100年前に登場した8620形の58654号機を使用しています。58654号機は1922(大正11)年製で、本線上を営業運転する、日本最古の動態保存機関車です。
3両の客車を牽引しますが、内装はJR九州らしく鉄道デザイナーの水戸岡鋭冶氏による全面リニューアルを受けています。そのため、中間車にはビュッフェがあり、両端は展望ラウンジになっているなど、とても快適に過ごせます。先頭車の展望ラウンジは、58654号機が煙を吐いて揺れ動きながら牽引している様子が目の前で楽しめますし、最後尾は去りゆく風景を楽しむことができます。その楽しさは人気で、指定席そっちのけで展望ラウンジに長居する乗客がけっこう多いようです。また、このようにフリースペースの多い列車ですので、座席数は132名分と多くなく、指定席をとりづらい人気列車となっています。
なお、ボックスシートのようにみえますが、2名用席と4名用席を組み合わせた座席配置ですので、2名での乗車の際には、相席にならない可能性が高いところも嬉しい配慮です。
終点の人吉に着くと、乗客は58654号機の前にいって記念写真を撮りますが、ここでは敢えてホーム屋根の支柱に注目してみましょう。レールの地面に着く側を2本合わせて造った支柱なのです。近くでよくみると、支柱の形から、レールそのものであることを理解できると思います。人吉駅ホームのいちばん八代側の支柱付近に案内板が設置されていて、1889(明治22)年にドイツのドルトムント製と解説されています。九州鉄道が発注したものですから、同年に開業した博多~千歳川間もしくはその延伸区間に使われていたレールであることは間違いないでしょう。
ここまでに記してきただけでも、肥薩線は歴史のある路線で、その歴史がいまも息づいていることが判っていただけると思います。人吉から先にも、いろいろと近代化遺産がありますので、その主だったものを来週・再来週とご紹介いたします。
掲載日:2014年08月22日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。