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- [No.H288] 大阪市営地下鉄は、民営化して Osaka Metro に
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
肥薩線の旅2 スイッチバックとループの大畑(おこば)駅 [No.H103]
八代~人吉間は球磨川に沿って走る路線でしたが、人吉からは鹿児島との県境を越える山越え区間となります。この区間を走る列車は、1日わずか5往復。すべて普通列車ですが、うち日中の2往復には不思議な列車名がついています。吉松行が「いさぶろう」、人吉行が「しんぺい」です。これは、この区間にある最長の矢岳第一トンネル2,096mの各入口上にある扁額(へんがく)にちなんでいます。吉松行が同トンネルに入るときにみる扁額は、トンネル着工時の逓信大臣である山縣伊三郎の揮毫。人吉行はトンネル完成時の鉄道院総裁である後藤新平の揮毫です。それぞれの名前を列車名にしたわけです。
この「いさぶろう」「しんぺい」には、右上の写真にある専用車両が使われています。その車窓で最大の見どころといえるのが、この大畑(おこば)ループとスイッチバックでしょう。人吉からだと、まず大畑駅に到着し、その後、スイッチバックを経てループ線に挑む形になります。列車の進行方向が2回変わったあと、ぐいぐいと左カーブで上るにつれて、景色も変化していきます。「いさぶろう」「しんぺい」に乗ると、ループを一周して眼下に大畑駅が見えたところで一旦停車して、その光景を見せてくれます。日本一雄大なループ線の光景といって良いでしょう。
なお、前述の矢岳第一トンネルから真幸(まさき)駅にかけての区間は、線内で唯一の宮崎県内となります。その途中では、かつて日本三大車窓と称された、霧島連山を一望する光景も見ることができます。
さて、前述のスイッチバックとループの途中にある大畑駅ですが、そのホームには、朝顔型噴水と呼ばれるコンクリート構造物があります。左の写真がそれで、以前はこの上部から水がしたたり落ちていました。これは、蒸気機関車時代にトンネルを抜けると全身が煤で汚れていたため、駅の停車時間を利用して、乗客達が手や顔を洗った洗面台です。蒸気機関車の時代には、主要駅のホームに洗面台がありましたが、こんな山中の駅にも用意されていたわけです。
その水は、約5キロ北にある水源から鉄管で引いてきたもので、次に記す蒸気機関車用の給水塔に引かれた水管から分岐して造られたそうです。また、往年はこの朝顔型噴水を覆う東屋があり、雨の日でも利用できるようになっていたようですが、いまはなくなり、野ざらしとなっています。
八角形の水盤と台座は意匠が凝らされていて、いかに力を入れて造ったものかを感じさせます。ただし、完成は駅の開業から半年ちょっと遅れた1910(明治43)年7月ということです。開業してみたものの、蒸気機関車の煙は特にトンネル内で凄まじく、小休止する大畑駅では乗客が水を求めて右往左往したことから、急遽造られたのでしょうか。それとも、次に記す給水塔を造るのであれば、旅客用にもとの配慮で造られたのでしょうか。造られた経緯に興味が湧きます。
先の朝顔型噴水の写真には、奥に駅本屋が写っています。その更に先に、右の写真にある給水塔が残っています。がっちりとした石組みで、かつてはこの上に鉄製の水槽が置かれ、そこから蒸気機関車に水を落としていたのです。いまは使われておらず、中は空洞です。先の朝顔型噴水と同時に完成したとのことで、より強力な機関車を入線させるための設備だったと思われます。
このほか、駅本屋も開業当時の様子を今に伝えて残されています。これら全てが、経済産業省の近代化産業遺産となっているのも、理解できることでしょう。平成19年度に経済産業省に認定された、近代化産業遺産575カ所は、次のURLで見ることができます。同リストの最後の頁に「物資輸送関連遺産(肥薩線)」が載っています。3回に分けて記している肥薩線の旅は、その主だったところを紹介しているわけです。
近代化産業遺産 認定遺産リスト
掲載日:2014年08月29日
この「いさぶろう」「しんぺい」には、右上の写真にある専用車両が使われています。その車窓で最大の見どころといえるのが、この大畑(おこば)ループとスイッチバックでしょう。人吉からだと、まず大畑駅に到着し、その後、スイッチバックを経てループ線に挑む形になります。列車の進行方向が2回変わったあと、ぐいぐいと左カーブで上るにつれて、景色も変化していきます。「いさぶろう」「しんぺい」に乗ると、ループを一周して眼下に大畑駅が見えたところで一旦停車して、その光景を見せてくれます。日本一雄大なループ線の光景といって良いでしょう。
なお、前述の矢岳第一トンネルから真幸(まさき)駅にかけての区間は、線内で唯一の宮崎県内となります。その途中では、かつて日本三大車窓と称された、霧島連山を一望する光景も見ることができます。
さて、前述のスイッチバックとループの途中にある大畑駅ですが、そのホームには、朝顔型噴水と呼ばれるコンクリート構造物があります。左の写真がそれで、以前はこの上部から水がしたたり落ちていました。これは、蒸気機関車時代にトンネルを抜けると全身が煤で汚れていたため、駅の停車時間を利用して、乗客達が手や顔を洗った洗面台です。蒸気機関車の時代には、主要駅のホームに洗面台がありましたが、こんな山中の駅にも用意されていたわけです。
その水は、約5キロ北にある水源から鉄管で引いてきたもので、次に記す蒸気機関車用の給水塔に引かれた水管から分岐して造られたそうです。また、往年はこの朝顔型噴水を覆う東屋があり、雨の日でも利用できるようになっていたようですが、いまはなくなり、野ざらしとなっています。
八角形の水盤と台座は意匠が凝らされていて、いかに力を入れて造ったものかを感じさせます。ただし、完成は駅の開業から半年ちょっと遅れた1910(明治43)年7月ということです。開業してみたものの、蒸気機関車の煙は特にトンネル内で凄まじく、小休止する大畑駅では乗客が水を求めて右往左往したことから、急遽造られたのでしょうか。それとも、次に記す給水塔を造るのであれば、旅客用にもとの配慮で造られたのでしょうか。造られた経緯に興味が湧きます。
先の朝顔型噴水の写真には、奥に駅本屋が写っています。その更に先に、右の写真にある給水塔が残っています。がっちりとした石組みで、かつてはこの上に鉄製の水槽が置かれ、そこから蒸気機関車に水を落としていたのです。いまは使われておらず、中は空洞です。先の朝顔型噴水と同時に完成したとのことで、より強力な機関車を入線させるための設備だったと思われます。
このほか、駅本屋も開業当時の様子を今に伝えて残されています。これら全てが、経済産業省の近代化産業遺産となっているのも、理解できることでしょう。平成19年度に経済産業省に認定された、近代化産業遺産575カ所は、次のURLで見ることができます。同リストの最後の頁に「物資輸送関連遺産(肥薩線)」が載っています。3回に分けて記している肥薩線の旅は、その主だったところを紹介しているわけです。
近代化産業遺産 認定遺産リスト
掲載日:2014年08月29日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。