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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
世界の高速鉄道の先駆け、東海道新幹線が開業50年に [No.H108]
10月1日に、東海道新幹線が開業してから半世紀となりました。いまや日本経済にとってなくてはならない東海道新幹線は、その後の国内新幹線網の拡充に貢献したばかりでなく、いまや世界中が高速鉄道に熱い視線を向けるまでになっています。
東海道新幹線東京~新大阪間が開業したのは、1964(昭和39)年10月1日のことでした。前月17日に東京モノレール浜松町~羽田空港間が開業したことは、9月19日の当コラムで記しました。いずれも、10月10日の東京オリンピック開幕にあわせた開業で、戦後日本が順調に経済発展している最中のことでした。
開業当時は全車指定の12両編成で、東京駅6:00発から毎時00分に「ひかり」、毎時30分に「こだま」が走るだけでした。最終「ひかり」も、東京20:00発、新大阪24:00着でした。東京~新大阪間の所要4時間は、路盤が造りたてで安定していないため、全線にわたって速度を抑えたダイヤとしていたためです。開業から1年経った1965(昭和40)年11月1日のダイヤ改正で本来の速度である東京~新大阪間が3時間10分となり、この所要時間がその後長く続くことになります。
東海道新幹線の建設計画は、1957(昭和32)年5月30日に東京・銀座の「山葉ホール」で開かれた講演会「超特急列車 東京~大阪間3時間への可能性」が始まりといわれています。鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)が開催したもので、その反響は大きく、2ヶ月後には国鉄内に「幹線調査室」が設置されます。
1959(昭和34)年には早くも建設費の予算が国会承認され、工事認可も下ります。起工式は同年4月20日に新丹那トンネルの熱海口で行われました。その直後に東京オリンピックの開催が決まったため、開業まで約5年半と決まります。一から造るのではとても間に合いませんが、幸いにも戦前に弾丸列車構想があり、新丹那トンネル等は着手のうえ中断状態だったこと、それに用地買収もその際にかなり行われていたことが幸いしました。
なかでも早期に工事を完成させたのが、東海道本線鴨宮駅(小田原市内)近くから神奈川県綾瀬市までの約37kmで、ここをモデル線として高速列車の走行試験を行いました。鴨宮にはその際の基地が設けられましたが、そこがいまでもJR東海の鴨宮保守基地となっています。つまり、ここが新幹線発祥之地です。
同地には「新幹線発祥之地碑」があるのですが、敷地内のため一般人が近付くことはできません。かろうじて、並行する東海道本線鴨宮~小田原の車内から同碑を見ることができるだけです。そのため、地元では有志が「NPOふるさと歴史保存会」を立ち上げて、JR東日本鴨宮駅前に記念碑を建てました。2009(平成21)年4月19日のことです。0系車両を載せた碑はひと目でそれと分かる秀逸なもので、近くに行ったら立ち寄ってみたいほどです。
開業当初世界最速だった新幹線ですが、その後、フランスのTGV、ドイツのICEが登場して高速鉄道の必要性が認識されるようになります。当時、国鉄は赤字体質のため分割民営化が模索されていて、世界の速度競争に対抗できずにいました。そうこうしている間に、独仏だけでなく韓国・中国などアジアにも高速鉄道の導入が進みます。
国鉄がJRとなってから、ようやく新幹線も高速化への技術開発が進みます。JR東海は300系で「のぞみ」をデビューさせ、最高時速を270kmにしました。続いてJR西日本は500系を開発して、最高時速300kmという当時世界最速に並びます。JR東日本もE5系で最高時速300kmに並んだうえで、2013(平成25年)3月16日のダイヤ改正で、最高時速320kmという世界最速に並びました。線形がよくないため高速化が難しい東海道新幹線も、来年(2015年)春のダイヤ改正で最高時速を285kmにする予定ですし、そのダイヤは「のぞみ」だけで最大1時間に10本運転という、通勤列車なみの列車密度となっています。その輸送力は、もちろん高速鉄道で世界最高です。
その間に、新幹線網は新青森から鹿児島中央にまで広がり、来年(2015年)3月14日には北陸新幹線が金沢まで延長開業、その一年後には北海道新幹線が新函館北斗駅までの開業を予定しています。さらに、新幹線技術の海外輸出が模索されるとともに、2026(平成38)年には中央新幹線が最高時速500kmの超電導リニア方式で開業を目指すなど、半世紀経った新幹線技術は、いまも世界最先端であるとともに発展途上にあります。
掲載日:2014年10月03日
東海道新幹線東京~新大阪間が開業したのは、1964(昭和39)年10月1日のことでした。前月17日に東京モノレール浜松町~羽田空港間が開業したことは、9月19日の当コラムで記しました。いずれも、10月10日の東京オリンピック開幕にあわせた開業で、戦後日本が順調に経済発展している最中のことでした。
開業当時は全車指定の12両編成で、東京駅6:00発から毎時00分に「ひかり」、毎時30分に「こだま」が走るだけでした。最終「ひかり」も、東京20:00発、新大阪24:00着でした。東京~新大阪間の所要4時間は、路盤が造りたてで安定していないため、全線にわたって速度を抑えたダイヤとしていたためです。開業から1年経った1965(昭和40)年11月1日のダイヤ改正で本来の速度である東京~新大阪間が3時間10分となり、この所要時間がその後長く続くことになります。
東海道新幹線の建設計画は、1957(昭和32)年5月30日に東京・銀座の「山葉ホール」で開かれた講演会「超特急列車 東京~大阪間3時間への可能性」が始まりといわれています。鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)が開催したもので、その反響は大きく、2ヶ月後には国鉄内に「幹線調査室」が設置されます。
1959(昭和34)年には早くも建設費の予算が国会承認され、工事認可も下ります。起工式は同年4月20日に新丹那トンネルの熱海口で行われました。その直後に東京オリンピックの開催が決まったため、開業まで約5年半と決まります。一から造るのではとても間に合いませんが、幸いにも戦前に弾丸列車構想があり、新丹那トンネル等は着手のうえ中断状態だったこと、それに用地買収もその際にかなり行われていたことが幸いしました。
なかでも早期に工事を完成させたのが、東海道本線鴨宮駅(小田原市内)近くから神奈川県綾瀬市までの約37kmで、ここをモデル線として高速列車の走行試験を行いました。鴨宮にはその際の基地が設けられましたが、そこがいまでもJR東海の鴨宮保守基地となっています。つまり、ここが新幹線発祥之地です。
同地には「新幹線発祥之地碑」があるのですが、敷地内のため一般人が近付くことはできません。かろうじて、並行する東海道本線鴨宮~小田原の車内から同碑を見ることができるだけです。そのため、地元では有志が「NPOふるさと歴史保存会」を立ち上げて、JR東日本鴨宮駅前に記念碑を建てました。2009(平成21)年4月19日のことです。0系車両を載せた碑はひと目でそれと分かる秀逸なもので、近くに行ったら立ち寄ってみたいほどです。
開業当初世界最速だった新幹線ですが、その後、フランスのTGV、ドイツのICEが登場して高速鉄道の必要性が認識されるようになります。当時、国鉄は赤字体質のため分割民営化が模索されていて、世界の速度競争に対抗できずにいました。そうこうしている間に、独仏だけでなく韓国・中国などアジアにも高速鉄道の導入が進みます。
国鉄がJRとなってから、ようやく新幹線も高速化への技術開発が進みます。JR東海は300系で「のぞみ」をデビューさせ、最高時速を270kmにしました。続いてJR西日本は500系を開発して、最高時速300kmという当時世界最速に並びます。JR東日本もE5系で最高時速300kmに並んだうえで、2013(平成25年)3月16日のダイヤ改正で、最高時速320kmという世界最速に並びました。線形がよくないため高速化が難しい東海道新幹線も、来年(2015年)春のダイヤ改正で最高時速を285kmにする予定ですし、そのダイヤは「のぞみ」だけで最大1時間に10本運転という、通勤列車なみの列車密度となっています。その輸送力は、もちろん高速鉄道で世界最高です。
その間に、新幹線網は新青森から鹿児島中央にまで広がり、来年(2015年)3月14日には北陸新幹線が金沢まで延長開業、その一年後には北海道新幹線が新函館北斗駅までの開業を予定しています。さらに、新幹線技術の海外輸出が模索されるとともに、2026(平成38)年には中央新幹線が最高時速500kmの超電導リニア方式で開業を目指すなど、半世紀経った新幹線技術は、いまも世界最先端であるとともに発展途上にあります。
掲載日:2014年10月03日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。