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汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム

汽車旅ひろば


  • ひろやすの汽車旅コラム
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!

明石で、子午線のある駅から子午線ゆかりの地を巡る [No.H113]

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人丸前駅のホームに記されている東経135度の子午線。電車の前方に建っているのが、明石市立天文科学館。
日本標準時は、兵庫県明石市にある北緯35度、東経135度で決まっているということは、多くの方が何となくでもご存知のことと思います。その東経135度線には、山陽電鉄の人丸前駅を通っています。そこで、同駅のホームにはご覧の通り「東経135度子午線」と記したタイルが一直線に並べられています。1991(平成3)年の高架化完成時に造られたということですが、その直線上には、日本標準時の象徴ともいえる明石市立天文科学館が見えます。
ところが、スマートフォン等が内蔵しているGPSでは、このホームが東経135度ちょうどになりません。これは、平成14年4月1日に施行された「世界測地系」により、それまで利用していた「日本測地系」から少し緯度・経度が変わったことによります。この「世界測地系」は、地球の重心から決められた緯度・経度です。一方「日本測地系」は、英国のグリニッジ天文台を世界標準時と決めたことを基準に決められたものです。世界標準時はいまも変わっていませんので、GPSでは少しずれているものの、日本標準時はいまもこの東経135度線で決められていると考えてよいようです。



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明石市立天文科学館の展望室から眺めた瀬戸内海。明石大橋の右側が淡路島。右下に山陽電鉄の人丸前駅ホームが見える。
では、明石市立天文科学館に行ってみましょう。人丸前駅から山の方へ200m強ですので、歩いてすぐの場所です。月曜日・第2火曜日・年末年始が定休日で、入場料は一般700円ですが、高校生以下は無料となっています。
館内には、天文関係の展示やプラネタリウムがありますが、エレベーターで登った14階と15階は、周囲を見渡すことができる展望台となっています。ここからの眺めが左の写真のとおり絶景です。この写真は、南東方向をみたものですので、東経135度線は画面右端のあたりになります。
足元には複々線の山陽本線と、並行する山陽電鉄線があり、ひっきりなしに電車がやってくるのを眺めて楽しめます。その先には瀬戸内海が広がり、明石大橋も見られます。明石大橋の右端にチラと見えるのが淡路島です。1995(平成7)年1月17日に起きた阪神淡路大震災はこの淡路島が震源地でしたので、この明石市付近も大きく揺れ、天文科学館の象徴である塔の時計が地震発生時刻の5時46分をさしたまま止まりました。同館が再開したのは、3年2ヶ月後の1998(平成10)年3月15日のことでした。



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「子午線交番」の看板と、その脇に建つ最初の子午線標識。1910(明治43)年に明石小学校長会が建てたもの。
明石市立天文科学館からの眺めを楽しんだ後、せっかくですから、子午線に由来する場所も訪ねてみましょう。とはいえ、ほぼ一直線上に南北を移動するだけです。
明石市立天文科学館の4階「日時計広場」には、裏山に出られる出口があります。入場はできないので、館内見学を終えた退出時に利用します。その出口からすぐのところに、1930(昭和5)年に建てられた「トンボの標識」こと子午線表示柱があります。最上部に日本を象徴するトンボ(あきつ)、その下の地球部分に干支の動物たちが描かれたものです。なお、現在地には1956(昭和31)年に移設されたということです。
続いて、人丸前駅を越えて国道2号線に至ると、「日本標準時東経百三十五度 子午線通過標」が建っています。1933(昭和8)年に、国道が開通する際に建立されたということです。
さらに南下すると、明石市立天文科学館に似せた建物の大蔵交番があります。その入口には「子午線交番」の看板が掲げられています。それというのも、交番に隣接する交差点内に、最初の子午線標識が建っているためです。1910(明治43)年に明石小学校長会が、日本標準時となる子午線が地元を通っていることを広く知らしめるために建てたという、石造りの標柱です。建立費は、当時の先生方が自腹を出し合ったということです。 このほか、マンホールの蓋に明石市立天文科学館のイラストとともに「しごせんのまち」と書かれていたり、消火栓の蓋に明石市立天文科学館と明石大橋のイラストが描かれていたりと、子午線にまつわるものが多く見られて、なかなか楽しい界隈です。
余談ながら、「子午線交番」の少し北西には、忠度(ただのり)塚があります。源平合戦の一の谷の戦い(1184年)に敗れた薩摩守(さつまのかみ)忠度が近くで討たれ、この地に葬ったとされるところだそうです。忠度が「ただ乗り」に通じることから、キセル乗車のことを「さつまのかみ」と言うことがありますが、その当人の塚です。




掲載日:2014年11月07日


●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。