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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
南海高野線で寄り道・高野下駅を楽しむ [No.H139]
これまで二回にわたり南海高野線を取りあげましたが、三回目の今回で最後となります。
右の写真は、高野下(こうやした)駅です。前回とりあげた上古沢駅~下古沢駅の一つ難波・橋本よりの駅で、さらにもう一ついくと九度山駅となり、その先には紀ノ川沿いの平地が広がっています。大正14年の駅開業当時に、もっとも高野山に近いことから高野山駅と名づけられたものの、路線延伸により高野下と駅名が変わった経緯があります。実際、いまもかなりの山道ながら、この駅から高野山まで、道が続いています。
その高野下駅は、ご覧の通り実に年季の入った木造駅舎です。それも、駅舎の床下は公道という特異な形状です。駅舎や階段の右側はすぐに川となっているので、このように駅を造るしかなかったのでしょう。いまはひっそりとした無人駅ですが、駅舎内は、かつて賑わったであろうことを感じる造りになっています。
階段を上がり、駅舎を抜けると、そこに構内踏切があります。改札の目の前に踏切があり、その踏切を渡るとホームという構造の駅は地方に良くありますが、階段を登ったところにある駅舎に構内踏切という組合せは、そうそうないでしょう。いまなら、階段を倍の高さにして橋上駅にするか、いっそ線路の下の平地部分に駅舎を造るところであろうと思います。
そのホームにかかる上屋の柱には、古レールが使われています。そこに説明板が掲げられ、レールに刻まれている文字の意味を説明してあります。同板によると、このレールは南海鉄道(後の南海電気鉄道)が発注し、1902(明治35)年に英国キャンメル社で製造されたものであることが判ります。翌1903年に南海線の和歌山市内となる紀ノ川以南が開業していますので、そこで使われていたレールでしょうか。写真には写っていませんが、すぐ隣の柱にも説明板があり、こちらは1897(明治30)年に米カーネギー社で製造されたレールが使われていることが記されています。
ホーム中央付近には、右の写真の展示台があります。レールの輪切りがズラッと並んでいますが、そのほかに、犬釘、南海の社章、車両や橋梁の銘板など、鉄道グッズが陳列されています。その横には、様々な種類のレールの実物も並べて展示してあります。
これらは、高野線全線開通80周年記念として2010(平成22)年12月に設置されたもので、「南海思い出ミュージアム」と名づけられています。ひとつひとつ見ていると、つい時間が経つことを忘れてしまうような展示物です。
駅を出て川の対岸に渡ると、いかにもかつて賑わった街道という雰囲気が残った通りです。それでありながら、車がほとんど通らない閑静な地で、新緑のみずみずしさが眩しく、川のせせらぎが聞こえているようなところでした。
このように、高野下駅は山間のなにもない駅のようにみえて、下車してみると、いろいろと見どころがあります。前回記した上古沢駅~下古沢駅間とともに、高野山に行くなら、往復どちらかで途中下車をして楽しむこともお勧めです。
掲載日:2015年05月22日
右の写真は、高野下(こうやした)駅です。前回とりあげた上古沢駅~下古沢駅の一つ難波・橋本よりの駅で、さらにもう一ついくと九度山駅となり、その先には紀ノ川沿いの平地が広がっています。大正14年の駅開業当時に、もっとも高野山に近いことから高野山駅と名づけられたものの、路線延伸により高野下と駅名が変わった経緯があります。実際、いまもかなりの山道ながら、この駅から高野山まで、道が続いています。
その高野下駅は、ご覧の通り実に年季の入った木造駅舎です。それも、駅舎の床下は公道という特異な形状です。駅舎や階段の右側はすぐに川となっているので、このように駅を造るしかなかったのでしょう。いまはひっそりとした無人駅ですが、駅舎内は、かつて賑わったであろうことを感じる造りになっています。
階段を上がり、駅舎を抜けると、そこに構内踏切があります。改札の目の前に踏切があり、その踏切を渡るとホームという構造の駅は地方に良くありますが、階段を登ったところにある駅舎に構内踏切という組合せは、そうそうないでしょう。いまなら、階段を倍の高さにして橋上駅にするか、いっそ線路の下の平地部分に駅舎を造るところであろうと思います。
そのホームにかかる上屋の柱には、古レールが使われています。そこに説明板が掲げられ、レールに刻まれている文字の意味を説明してあります。同板によると、このレールは南海鉄道(後の南海電気鉄道)が発注し、1902(明治35)年に英国キャンメル社で製造されたものであることが判ります。翌1903年に南海線の和歌山市内となる紀ノ川以南が開業していますので、そこで使われていたレールでしょうか。写真には写っていませんが、すぐ隣の柱にも説明板があり、こちらは1897(明治30)年に米カーネギー社で製造されたレールが使われていることが記されています。
ホーム中央付近には、右の写真の展示台があります。レールの輪切りがズラッと並んでいますが、そのほかに、犬釘、南海の社章、車両や橋梁の銘板など、鉄道グッズが陳列されています。その横には、様々な種類のレールの実物も並べて展示してあります。
これらは、高野線全線開通80周年記念として2010(平成22)年12月に設置されたもので、「南海思い出ミュージアム」と名づけられています。ひとつひとつ見ていると、つい時間が経つことを忘れてしまうような展示物です。
駅を出て川の対岸に渡ると、いかにもかつて賑わった街道という雰囲気が残った通りです。それでありながら、車がほとんど通らない閑静な地で、新緑のみずみずしさが眩しく、川のせせらぎが聞こえているようなところでした。
このように、高野下駅は山間のなにもない駅のようにみえて、下車してみると、いろいろと見どころがあります。前回記した上古沢駅~下古沢駅間とともに、高野山に行くなら、往復どちらかで途中下車をして楽しむこともお勧めです。
掲載日:2015年05月22日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。