- 2018年07月27日(金)掲載
- [No.H295] おもちゃ列車・駅・美術館を楽しめる由利高原鉄道[最終回]
- 2018年07月20日(金)掲載
- [No.H294] 拙著「東海鉄道散歩」が7月21日に発刊されます
- 2018年07月13日(金)掲載
- [No.H293] 鉄道日本一(7) 最短営業距離のモノレールと地下鉄
- 2018年07月06日(金)掲載
- [No.H292] 山陰デスティネーションキャンペーンで注目の列車
- 2018年06月29日(金)掲載
- [No.H291] 貨物列車が通せんぼをする踏切…秩父鉄道
- 2018年06月22日(金)掲載
- [No.H290] 鉄道の父「井上勝」像でつながる山陰本線萩駅と東京駅
- 2018年06月15日(金)掲載
- [No.H289] 鉄道の父「井上勝」像がある、山陰本線萩駅
- 2018年06月08日(金)掲載
- [No.H288] 大阪市営地下鉄は、民営化して Osaka Metro に
"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
沖縄の、かつての鉄道の遺構を訪ねる [No.H143]
ゆいレールができるまで、沖縄県には鉄道がなかったと言われますが、戦前には鉄道がありました。前回の「ゆいレール展示館」で触れた通り、沖縄県営鉄道という、沖縄県が運営する公営鉄道でした。また、同じ沖縄県では、南大東島にさとうきびを運ぶための鉄道があり、旅客輸送はしていなかったものの、昭和の後半まで活躍していました。筆者は、大学時代に南大東島まで行こうかと考えながら、費用を捻出できずに断念した記憶があります。
これら、沖縄県にかつて鉄道があった記憶を止める場所が、那覇市内にあります。壷川東公園という、ゆいレール壷川駅から東南に500mほどのところにある公園です。「東」とあるように、ほかに壷川中公園もありますので、間違えないようにしましょう。壷川駅からみると、国道507号線(壷川通り)を越えた東側になります。
上の写真をご覧下さい。敷かれているレールが、もと沖縄県営鉄道で使用していた古レールです。また、その上に載っているのが、東大東島で走っていたさとうきび列車用の機関車です。その機関車の後ろにチラと写っていますが、同じく東大東島で活躍していた蒸気機関車の足回りです。ボイラー等の上部が無くなっているので、よく見ないと貨車かと思ってしまいます。
ここは、ゆいレール旭橋駅の東から延びていた、沖縄県営鉄道与那原線の廃線跡に位置しています。いまや、廃線跡はほとんど遺構が残っていないだけに、貴重な保存展示場所です。市内の行きやすい場所ですので、那覇市内で時間があれば、訪れたいところです。
沖縄県営鉄道はいくつかの路線をもっていましたが、その一つである与那原(よなばる)線の終点、与那原駅は、ながらく駅舎が残り、JAの支店として使われていました。しかし、老朽化したため建て替えて、今年(2015年)1月31日に「軽便与那原駅舎展示資料館」としてオープンしました。
左の写真は、そのオープン直後に写したものです。まだ駅前整備ができていない状態でしたが、往時の駅舎を再現した建物は、この駅がいかに重要だったかを感じさせる意匠を備えています。ちなみに、沖縄県営鉄道は軌間(レールとレールの幅)が762mmの軽便鉄道でした。軽便鉄道は、普通鉄道に比べると簡易な施設でしたので、全国的に見てもこれほど立派な駅舎はさほど多くありません。
いまも、ゆいレール旭橋駅前にある沖縄県営鉄道那覇駅跡にあるバスターミナル(2015.6現在工事中)から那覇新開線(壷川経由)のバスが、廃線跡に沿うように約30分で与那原までを結んでいます。
館内は、沖縄県営鉄道にまつわる遺品はもちろんのこと、与那原駅付近から延びていた馬車鉄道も含めた、沖縄の鉄道の歴史について展示してあります。
右の写真の右端にあるガラス戸の先を見て下さい。青いトラックが止まっている手前に、なにやら低いコンクリートの塊が写っています。これは、二代目与那原駅舎のコンクリート柱だそうです。館内をみたあと、館の裏側に回るとこの柱が見られますが、全部で9柱あります。完璧なものはなく、どれも鉄筋がむき出しになっていたりコンクリート片が剥がれたりといった状態ですが、まさしくここに駅舎があったという生き証人になっているわけです。この柱の先に線路があって、列車が発着していたということです。
主要駅ですから、駅構内には何本もの線路があったわけですが、青いトラックの後ろ側にある空き地を掘ったところ、古レールが出てきたと同館で聞きました。その線路敷きには民家もあるため、かつての構内の再現は難しいと思われますが、沖縄における鉄道の歴史を知るうえでは、貴重な土地であり施設であると考えて良いでしょう。
掲載日:2015年06月19日
これら、沖縄県にかつて鉄道があった記憶を止める場所が、那覇市内にあります。壷川東公園という、ゆいレール壷川駅から東南に500mほどのところにある公園です。「東」とあるように、ほかに壷川中公園もありますので、間違えないようにしましょう。壷川駅からみると、国道507号線(壷川通り)を越えた東側になります。
上の写真をご覧下さい。敷かれているレールが、もと沖縄県営鉄道で使用していた古レールです。また、その上に載っているのが、東大東島で走っていたさとうきび列車用の機関車です。その機関車の後ろにチラと写っていますが、同じく東大東島で活躍していた蒸気機関車の足回りです。ボイラー等の上部が無くなっているので、よく見ないと貨車かと思ってしまいます。
ここは、ゆいレール旭橋駅の東から延びていた、沖縄県営鉄道与那原線の廃線跡に位置しています。いまや、廃線跡はほとんど遺構が残っていないだけに、貴重な保存展示場所です。市内の行きやすい場所ですので、那覇市内で時間があれば、訪れたいところです。
沖縄県営鉄道はいくつかの路線をもっていましたが、その一つである与那原(よなばる)線の終点、与那原駅は、ながらく駅舎が残り、JAの支店として使われていました。しかし、老朽化したため建て替えて、今年(2015年)1月31日に「軽便与那原駅舎展示資料館」としてオープンしました。
左の写真は、そのオープン直後に写したものです。まだ駅前整備ができていない状態でしたが、往時の駅舎を再現した建物は、この駅がいかに重要だったかを感じさせる意匠を備えています。ちなみに、沖縄県営鉄道は軌間(レールとレールの幅)が762mmの軽便鉄道でした。軽便鉄道は、普通鉄道に比べると簡易な施設でしたので、全国的に見てもこれほど立派な駅舎はさほど多くありません。
いまも、ゆいレール旭橋駅前にある沖縄県営鉄道那覇駅跡にあるバスターミナル(2015.6現在工事中)から那覇新開線(壷川経由)のバスが、廃線跡に沿うように約30分で与那原までを結んでいます。
館内は、沖縄県営鉄道にまつわる遺品はもちろんのこと、与那原駅付近から延びていた馬車鉄道も含めた、沖縄の鉄道の歴史について展示してあります。
右の写真の右端にあるガラス戸の先を見て下さい。青いトラックが止まっている手前に、なにやら低いコンクリートの塊が写っています。これは、二代目与那原駅舎のコンクリート柱だそうです。館内をみたあと、館の裏側に回るとこの柱が見られますが、全部で9柱あります。完璧なものはなく、どれも鉄筋がむき出しになっていたりコンクリート片が剥がれたりといった状態ですが、まさしくここに駅舎があったという生き証人になっているわけです。この柱の先に線路があって、列車が発着していたということです。
主要駅ですから、駅構内には何本もの線路があったわけですが、青いトラックの後ろ側にある空き地を掘ったところ、古レールが出てきたと同館で聞きました。その線路敷きには民家もあるため、かつての構内の再現は難しいと思われますが、沖縄における鉄道の歴史を知るうえでは、貴重な土地であり施設であると考えて良いでしょう。
掲載日:2015年06月19日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。