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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
北海道ちほく高原鉄道の駅跡を訪ねて [No.H146]
前回まで2回に分けて紹介したりくべつ鉄道へ行くなら、その現役時代…つまり、国鉄池北線~北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線の跡も見てきたいものです。
そこで、その廃線跡に残る代表的な駅跡を、今回ご紹介します。
まずは、愛冠駅跡。
愛冠と書いて「あいかっぷ」と読みます。
陸別駅跡から南へ25キロ強のところで、足寄(あしょろ)のすぐ北に位置しています。
アイヌ語に由来する地名ですが、愛の冠という字により、国鉄広尾線で幸福行の切符ブームが起きたのに続いて人気が出た駅でした。実際に、この駅前で結婚式を挙げたカップルが何組もいるほどです。
その駅舎とホームは現存しています。ただし、線路は剥がされて未舗装道路となり、駅名標もありません。案内板すらないので、予備知識なしで行くと、なにこれ? と思うことになりそうです。 かつては、愛にまつわる飾り付けなどがされていた駅だったのですが…
なお、駅前広場には、鉄道現役時代からつづく「愛の泉」という、水を飲める東屋がいまも現役です。
愛冠駅跡から5キロちょっと南下したところに、足寄町の中心街があります。その一角に、かつての足寄駅構内を使った道の駅「あしょろ銀河ホール21」があります。その広い敷地の北側に「交通広場」があり、左写真のような光景が見られます。
短いながらもレールが敷かれていて、駅名標と信号機があるので、現役時代の雰囲気を感じさせられます。右側の建物は、旧足寄駅舎を模して建てられた多目的観光施設で、地元産のカラマツ材で造られているとのことです。
写真とは反対側になる、多目的観光施設の入口側には、バス停もあります。
線路の先は駐車場となっていますが、そのまま真っ直ぐに進むと、廃線跡が続いている様子が見られます。ただし、レール等は撤去されています。
かつて、北海道ちほく高原鉄道(1989~2006年)が現役の頃、この足寄駅に来ると、夏休みなどには若者がたむろしていました。この町の出身として知られるミュージシャン、松山千春氏の生家が町中にあり、彼のファンが押し寄せていたのです。
運転体験をした「りくべつ鉄道」の拠点、陸別駅跡も見逃せません。
体験運転や乗車体験をしていないときには、広い旧駅構内を自由に見学できます。北海道ちほく高原鉄道時代からの車両がホームなどに停めてあるほか、除雪用車両や工事用車両なども構内に停めてあり、見学することができます。
運転体験のSコース・駅構内乗車体験の日にはトロッコ体験もできます。足こぎ式のトロッコ車両を楽しめるものです。そのエンドレスレールも駅構内にあります。
そのトロッコ用レールがグルッと回る部分には、転車台があります。池田から陸別まで鉄道が開通する前年となる1909(明治42)年にできたという、道内最古の現存する転車台だそうです。その背後の黒い建物は、1930(昭和5)年竣工の機関車庫です。いずれも、りくべつ鉄道となってから修復され、竣工当時の様子を直に見られるようになっています。
この他にも、鉱山トロッコの実物が展示されているなど、この構内を見て回るだけでも、意外に時間がかかるほどです。体験運転をしていない日であっても、寄ってみたい陸別駅跡です。
陸別から30キロほど北へ行くと、置戸(おけと)駅跡があります。
真っ直ぐ北へ10キロ強で石北本線留辺蘂駅に至りますが、線路は北東へ約30キロの位置にある北見に伸びていました。
というのも、置戸駅ができた1911(明治44)年に、石北本線はなかったのです。池田から足寄・陸別・置戸を経て北見に至る路線は、当時、網走線として開通しています。函館・小樽・札幌から網走に向かうのに、帯広を経て、この北海道ちほく高原鉄道線を使っていたのです。そのような幹線と位置づけられていたため、明治時代の早い開業だったわけです。
その駅舎は、北海道ちほく高原鉄道時代に建て替えられ、ご覧の通り、大きく近代的なものになりました。そのホーム側はバリアフリー対応として嵩上げされ、ホーム端部分からの線路を残してあります。駅構内の保存方法としては、極めて珍しい方法です。
その駅構内の一角には、「管内最初 明治四四年開駅之碑」という立派な石碑が建っています。その隣に、やや古い石碑があり、こちらには「置戸驛開業 明治四十四年九月二十五日」と刻まれています。陸別~北見(当時の駅名は野付牛)の開業時に建てた碑ではないかと思われます。
以上、4駅跡を紹介しました。
それぞれに保存しつつも、その保存の仕方が異なっています。
各地における鉄道駅への思いや、廃止後の活用方法などを、興味深く見るできるものと思います。
掲載日:2015年07月10日
そこで、その廃線跡に残る代表的な駅跡を、今回ご紹介します。
まずは、愛冠駅跡。
愛冠と書いて「あいかっぷ」と読みます。
陸別駅跡から南へ25キロ強のところで、足寄(あしょろ)のすぐ北に位置しています。
アイヌ語に由来する地名ですが、愛の冠という字により、国鉄広尾線で幸福行の切符ブームが起きたのに続いて人気が出た駅でした。実際に、この駅前で結婚式を挙げたカップルが何組もいるほどです。
その駅舎とホームは現存しています。ただし、線路は剥がされて未舗装道路となり、駅名標もありません。案内板すらないので、予備知識なしで行くと、なにこれ? と思うことになりそうです。 かつては、愛にまつわる飾り付けなどがされていた駅だったのですが…
なお、駅前広場には、鉄道現役時代からつづく「愛の泉」という、水を飲める東屋がいまも現役です。
愛冠駅跡から5キロちょっと南下したところに、足寄町の中心街があります。その一角に、かつての足寄駅構内を使った道の駅「あしょろ銀河ホール21」があります。その広い敷地の北側に「交通広場」があり、左写真のような光景が見られます。
短いながらもレールが敷かれていて、駅名標と信号機があるので、現役時代の雰囲気を感じさせられます。右側の建物は、旧足寄駅舎を模して建てられた多目的観光施設で、地元産のカラマツ材で造られているとのことです。
写真とは反対側になる、多目的観光施設の入口側には、バス停もあります。
線路の先は駐車場となっていますが、そのまま真っ直ぐに進むと、廃線跡が続いている様子が見られます。ただし、レール等は撤去されています。
かつて、北海道ちほく高原鉄道(1989~2006年)が現役の頃、この足寄駅に来ると、夏休みなどには若者がたむろしていました。この町の出身として知られるミュージシャン、松山千春氏の生家が町中にあり、彼のファンが押し寄せていたのです。
運転体験をした「りくべつ鉄道」の拠点、陸別駅跡も見逃せません。
体験運転や乗車体験をしていないときには、広い旧駅構内を自由に見学できます。北海道ちほく高原鉄道時代からの車両がホームなどに停めてあるほか、除雪用車両や工事用車両なども構内に停めてあり、見学することができます。
運転体験のSコース・駅構内乗車体験の日にはトロッコ体験もできます。足こぎ式のトロッコ車両を楽しめるものです。そのエンドレスレールも駅構内にあります。
そのトロッコ用レールがグルッと回る部分には、転車台があります。池田から陸別まで鉄道が開通する前年となる1909(明治42)年にできたという、道内最古の現存する転車台だそうです。その背後の黒い建物は、1930(昭和5)年竣工の機関車庫です。いずれも、りくべつ鉄道となってから修復され、竣工当時の様子を直に見られるようになっています。
この他にも、鉱山トロッコの実物が展示されているなど、この構内を見て回るだけでも、意外に時間がかかるほどです。体験運転をしていない日であっても、寄ってみたい陸別駅跡です。
陸別から30キロほど北へ行くと、置戸(おけと)駅跡があります。
真っ直ぐ北へ10キロ強で石北本線留辺蘂駅に至りますが、線路は北東へ約30キロの位置にある北見に伸びていました。
というのも、置戸駅ができた1911(明治44)年に、石北本線はなかったのです。池田から足寄・陸別・置戸を経て北見に至る路線は、当時、網走線として開通しています。函館・小樽・札幌から網走に向かうのに、帯広を経て、この北海道ちほく高原鉄道線を使っていたのです。そのような幹線と位置づけられていたため、明治時代の早い開業だったわけです。
その駅舎は、北海道ちほく高原鉄道時代に建て替えられ、ご覧の通り、大きく近代的なものになりました。そのホーム側はバリアフリー対応として嵩上げされ、ホーム端部分からの線路を残してあります。駅構内の保存方法としては、極めて珍しい方法です。
その駅構内の一角には、「管内最初 明治四四年開駅之碑」という立派な石碑が建っています。その隣に、やや古い石碑があり、こちらには「置戸驛開業 明治四十四年九月二十五日」と刻まれています。陸別~北見(当時の駅名は野付牛)の開業時に建てた碑ではないかと思われます。
以上、4駅跡を紹介しました。
それぞれに保存しつつも、その保存の仕方が異なっています。
各地における鉄道駅への思いや、廃止後の活用方法などを、興味深く見るできるものと思います。
掲載日:2015年07月10日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。