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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!
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上野から仙台へ、常磐線経由で行ってみた 2 [No.H225]
2016年12月10日運転再開区間
今回は、代行バス区間より北にある、昨年12月10日にようやく運転を再開した区間について記します。
この区間は、上の路線図を見ていただくと判るように、相馬~浜吉田間23. 2kmです。そのうち、新地・坂元・山下の3駅に「移設」と記してあります。駅間距離も以前より0. 6km増えています。
この区間は、海沿いに走っていたことから、津波の被害を受けたところです。新地駅では、地震で停まった電車から乗客が高台に避難したあと、同駅に取り残されていたE721系2編成4両が駅もろとも津波を受けて横転、数十メートル流されたうえで廃車となっています。
このようなことから震災後に地元と協議をしたJR東日本は、新地駅の駒ヶ嶺駅寄りの地点から山下~浜吉田の浜吉田に近い付近までを、海から離れた内陸部に移設しました。この新線建設をしていたために、運転再開が昨年末になるとともに、途中3駅が移設新造の駅舎となったのでした。
それら3駅の様子を、北に位置する山下駅から順次紹介します。
山下駅は、みどりの窓口もある山元町の中心駅です。
高架の島式ホームに面した線路2本の駅で、列車交換や折り返し運転などができるようになっています。その高架駅の外壁には、相馬~浜吉田間の運転再開を祝う横断幕が掲げられていました。
駅前には、右の写真に写る大きなオブジェクトができています。「Happy山元」と題したアート作品で、山元町で震災後に立ち上がったNPO法人が、駅前に出店したスーパーの依頼を受けて、「山元が元気になるアート」として作成したものです。
山元を題材とした図柄を東北に伝わる技法「キリコ」で表現し、14団体53人の手で生まれたものだそうです。高さは2メートル、横幅は全長30メートルにもなる大作で、同駅で下車したら誰もが目にするアート作品となっています。図柄をみると、自然に囲まれて生活をしてきた長い歴史をもつ地域であることが感じられます。
新線区間は前述の通り山下~浜吉田の中間付近からですが、内陸部に移転しているものの、延々と高架橋となっています。これは、津波災害を再度受けないためと、踏切を作らないことによる町の分断回避という2つの理由があろうと思われます。
今回の運転再開区間の象徴がこの高架橋ですが、特に象徴的に紹介されているのが、ここ坂元駅のすぐ山下駅側にあるコンクリートアーチ橋梁です。左の写真をみると判るとおり、駅ホーム端からすぐのところにあります。
この駅はご覧の通りホーム1面に線路1本というシンプルな作りです。
なお、この日はたまたま大雪の日だったので、ホーム上にも雪が積もっていますが、太平洋に面したところに位置する山元駅ですので、通常は雪が積もらないような土地柄です。
坂元駅を降りると、線路は南北に真っ直ぐコンクリート高架橋で続いていました。そのうちコンクリートアーチになっている部分は、下に坂元川が流れている部分でした。
写真のように、こんなにも何もないところ…と思ったら、違いました。海岸からこの新・坂元駅までは平坦な農地ですが、坂元駅のすぐ西側には国道6号線が線路と並行し、その西側に坂本の町が広がっているのです。どうやら、常磐線を作る際には平坦な海岸近くに線路を敷いたものの、街からは少し離れていたようです。
その点、移設した新駅は町に近く、駅からすぐのところに大手コンビニもあります。駅前整備で、十分な広さの自転車置き場と駐車場も設置されましたので、震災前よりも便利な駅として、地元の方に利用されるようになることが期待されます。
先に紹介した山下駅と山元駅は、宮城県でした。そこから県境を越えて福島県に入ったところに新地駅があります。県境といっても小高い丘があるだけで、旧線も現在線もトンネルを使わずに越えられる程度の高さです。地形図をみると、旧線はそんな起伏の中でも、もっとも平坦な地を選んで敷かれたようです。そのために津波被害を受けてしまったということでしょう。
対して、新線は内陸部に移動し、町に近いところを高架で進みますので、より安全快適になったといえるようです。ただし、この新地駅については、旧駅とかなり近い平地にできました。この点が、他の移設2駅と大きく違うところです。地形をみると、もっと内陸部を通った方が役場や町に近くで便利そうですが、そうできなかった理由があるのでしょう。
新地駅に入線する下り列車は、左カーブを過ぎてから駅に進入してきます。その左カーブは新線建設とともにできたもので、以前は直線でした。このカーブが始まる部分が新旧線が一体になるところなのです。
旧線跡はそのまま道路として残っているようですが、すぐ海側にかなりの高さの築堤を造っています。どうやら堤防のようで、前述した県境の小高い丘あたりまで工事中の状態です。これとは別に海岸沿いにもかなりの規模の堤防が築かれていますので、この付近は二重の堤防で再度の津波災害を避けるようになっているのでしょう。
以上のように、移設して開業した3駅は、それぞれに個性をもった駅となっていました。
運転再開してからまだ日が浅く、実際の利用は新年度になってからになるでしょうが、これだけ立派な新線と駅なのですから、ぜひとも活用して、各駅周辺が活気づいて欲しいものです。
掲載日:2017年02月17日
●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。