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汽車旅ひろば - ひろやすの汽車旅コラム

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"鉄道フォーラム"代表の伊藤博康氏による鉄道コラム。
毎回幅広いテーマの中から、「乗ってみたい」「知って良かった」「へぇ~」な汽車旅関連の話題をご紹介します。お楽しみに!

駅名変更で誕生した獨協大学前<草加松原>駅 [No.H239]

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獨協大学前<草加松原>駅は、今年4月1日に松原団地駅が駅名変更をして誕生した。
今年4月1日、東武スカイツリーラインに獨協大学前<草加松原>駅が誕生しました。新駅ではなく、それまで「松原団地」と名乗っていた駅名を改称したものです。その駅名変更の背景や、現状をみてみましょう。
東武スカイツリーラインは、浅草を起点としてとうきょうスカイツリー・北千住・春日部を経て東武動物公園までの路線愛称です。本来の路線名は伊勢崎線で、東武動物公園からさらに先にある、群馬県の伊勢崎まで続きます。伊勢崎線・浅草~伊勢崎間114.5kmは、JRを除くともっとも長い鉄道路線です。
その東武スカイツリーラインが都内から埼玉県入りすると、その最初の自治体が草加市です。その立地から都内に通勤しやすく、戦後の早い段階で団地が計画されました。東洋最大規模と謳われた松原団地で、1962(昭和37)年に入居が開始され、同年12月1日には最寄り駅として松原団地駅ができました。松原団地が完成したのは、その2年後となる1964年…つまり東京オリンピックが開催された年でした。
当時、団地住まいは庶民のあこがれであり、それまでの結婚をしても両親と先祖伝来の家に住み続ける家族形態からの変化から「核家族化」という言葉も生まれました。
ところが、松原団地完成から半世紀以上が経ち、団地は古くさいイメージになるとともに、居住性・耐震性等の問題もあって、いまは高層マンションへの建て替えが進んでいます。


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駅西口に掲げられている駅名の新旧比較。駅舎直付けの切り抜き文字から、プレート取付に変わっている。
松原団地が完成し、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に、松原団地のすぐ南に隣接して獨協大学が開学しました。1881(明治14)年に設立されたドイツ学術の啓蒙団体・獨逸学協会が母体となった中高一貫教育校が、大学運営にも進出したのでした。
当時は、戦後生まれのいわゆる団塊の世代が、まもなく高校を卒業し始めるという時機でしたので、日本中で大学教育の充実を進めているときでした。また、世界で通用する言葉として、英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語の4カ国語が挙げられていて、特に医学についてはドイツ語専攻が当たり前という時代でした。世界の共通語が英語に集約されるのは、それよりかなり後の世になってからのことです。
このあたりにも、時代の変化を感じることができます。

近年、「松原団地」という言葉が使われなくなっていることから、地元ではイメージアップの点から駅名変更を要望する声がでていたそうです。同時期に開学した獨協大学ですが、若者が集い学ぶ場所としてイメージが良く、駅名に採用する方向となります。
そこに、近くを流れる綾瀬川沿いにある松原が国の名勝に指定されました。「おくのほそ道の風景地」として、松尾芭蕉が訪ねて「おくのほそ道」に収録した地のうち、いまもその風景を伝える13箇所を名勝指定したものです。その13箇所の最初が「草加松原」で、その後北関東から東北をまわり、日本海側を西進して、最後が岐阜県の大垣にある大垣船町川湊です。
かくして、獨協大学前<草加松原>という後半の副駅名<草加松原>も付されることになりました。


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駅ホーム端には、「草加松原」の案内看板がある。駅名改称前は「獨協大学下車駅」となっていた。
駅名改称された獨協大学前<草加松原>に行ってみたところ、上述のとおり、ほぼ予想通りの駅名表記の変更がされていました。
ここで、一つ興味があったのが、同駅ホームの春日部側端部にあった「獨協大学下車駅」の案内板がどうなっているかということでした。駅名が獨協大学前になったのですから、それ以上の案内は不要と思われます。
筆者の予想では撤去してお終い…だったのですが、実際には右の写真のとおり、次の様に書き換えられていました。ちなみに、写真の左下に、駅名改称前の同案内板を入れてあります。

   国指定名勝
   おくのほそ道の風景地
   草加松原

駅名に<草加松原>と入れたものの、それがなにかという説明まで駅名に入れるわけにはいきません。そこで、補足の意味でここに記したのでしょう。駅名改称前に、獨協大学の下車駅であることを説明していたのとほぼ同じ意味合いですが、なかなか良いアイデアだと思います。町づくりの参考にもなる、駅ホームをつかった事例といってよいのではないでしょうか。
若者が集う伝統ある町として、またそれを表す駅名「獨協大学前<草加松原>」となった一帯は、駅を中心として町がますます発展していくように思います。


掲載日:2017年06月02日


●伊藤 博康(いとう ひろやす)
(有)鉄道フォーラム代表。愛知県犬山市生まれ。パソコン通信NIFTY-Serve草創期から鉄道フォーラムに関わり、1992年から運営責任者。(有)鉄道フォーラムを設立後、独自サーバでサービスを継続中。著書に「日本の “珍々”踏切」(東邦出版)「鉄道ファンのためのトレインビューホテル」「鉄道名所の事典」(東京堂出版)がある。現在、中日新聞社「達人に訊け」でもコラムを連載中。